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なめていた南極観測隊同行 ひたすら白一色の世界、動物の気配も、撮るものもなく 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<23>

産経ニュース 2024年7月24日 10時0分

《40年間の報道カメラマン人生で、最もつらかった現場は「南極」という。平成8年11月から約4カ月半、第38次南極観測隊を取材した。このときは筆者も日本新聞協会の代表取材者として同行しており、観測船「しらせ」では同室だった》

猛暑のサマワ(イラク)や真冬の北海道など、過酷な状況での取材経験は積んでいました。でも、南極の気候は想像を絶していました。その上、何もなかったんです。南極大陸は、ひたすら白一色の世界。動物の気配もありません。撮るものが何もないんです。こんな状況に何日も置かれると、カメラマンとしての葛藤もあって無力感にさいなまれました。そういう意味で一番しんどかった。

当時の観測隊の中では、最も過酷なミッションに参加しました。昭和基地に近い南極大陸の拠点と、内陸1000キロにある「ドームふじ観測拠点」(当時、現「ドームふじ基地」)を往復する旅行隊の同行取材です。ドームふじは、富士山より高い標高3810メートルにあって空気が薄く、年間の平均気温もマイナス50度以下です。

旅行隊は昭和基地に向かう本隊とは行動が別でした。11月中旬に東京・晴海ふ頭を出航したしらせは、クリスマス前にようやく南極大陸の近くまで到達。そのタイミングで旅行隊は、出発拠点の南極大陸「S16」ポイントに、しらせからヘリコプターで直接入りました。

待っていたのは、何もない見渡す限りの白い大地。拠点には大型の雪上車やソリが置いてあり、ドームふじに運ぶ食料や燃料、生活用品、観測機器など、膨大な量の荷物をソリに積み込む作業が待っていました。

しらせとS16の間を海上自衛隊の大型ヘリ「S61」2機でピストン輸送し、雪原にどんどん荷物が降ろされます。これを小さなソリに載せて、雪上車が引く大きなソリまで人力で引っ張っていく。ヘリは次から次に飛来するので、いくら運んでもキリがないんです。

寝泊まりは雪上車。朝6時に起床して、ご飯に塩昆布とかパンにマーガリンみたいな簡単な朝食をとります。8時ごろになると、物資を満載したヘリコプターが飛んできて、長い1日が始まります。多いときは15分おきにやってきました。作業は午後8時くらいまでですが、10時くらいまで〝残業〟した日もありました。夏の南極は白夜の季節で暗くならないですから。

この荷役が大変で…。現地では、旅行隊の隊長に「カメラのことは忘れてください」と言われました。同行取材者である自分の労働力が、最初から計算に入っているんです。きつい作業はクリスマスをまたいで年末まで8日間、続きました。

《南極観測を仕切っている国立極地研究所や防衛庁(当時)で、現地で作業に従事することなどに関し、事前説明を受けたり、書面を渡されたりとかは…》

あったかもしれないですけど、ろくに見てなかったんでしょうね。仮にあっても、まさかあそこまでとは思いませんよ。環境の厳しさが想像つかないじゃないですか。

はっきり言ってなめていたんです。観測隊員が山で行う訓練合宿にも出なかったですから。南極に行く前に、陸上自衛隊の取材などで過酷な寒さを何度も経験していたので、どうにかなると思っていました。北海道で冬季レンジャー訓練に参加したり、氷点下10度、風速30メートルの猛吹雪の中、八甲田山(青森県)の雪中行軍を取材したり…。

だから、すごいショックでした。「こんなに過酷で、想像を絶する自然環境で、本当に何もないところなんだ」って。ひびやあかぎれ、しもやけ、凍傷もありましたが、肉体的なものより精神的にこたえました。(聞き手 芹沢伸生)

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