東京の人口が一千万にふくれあがった。一千万というと超世界史的であり、超マンモス的であるが、そうと聞いておどろくものもないし、うれしがる人もいない。こう書いていた新聞もあった(読売「編集手帳」)。そのとおりだ。
▼新聞がトップ記事で、でかでかと書いたのだから、いくらかはおどろいたではあろうが、それでうれしがったのは東京都の当局くらいのものであったろう。
▼そこに時代の大きいうつりかわりがみられる。ついこないだまでは東京が世界で二番になったとか、三番になったとかで、うれしがったものであるが、いまでは一番になり、そして一千万になってもうれしがらない、というより、みんなが心配する。
▼本気になって心配する人はまだ少ないだろうが、少なくとも疑いの目でみる。首をかしげる。いくらかは圧迫感ももつ。肥大症を感ずる。やせ薬はないかとも思う。
▼人口の都市集中はいまにはじまったわけではなく、中古からであるのは徳川時代の「人返し」などでもわかっているが、とくべつにその傾向が目だってきたのはマニュファクチュア(工場手工業)から機械工業へかけてである。
▼こうして近代都市は工業都市だった。マンチェスターの紡績都市からデトロイトの自動車都市までみんなそうである。だからまた都市の発達とは工業の発達、文明の発達、同時に国力の発達でもあった。
▼しかし、その発達の頂上から新しい変化がはじまる。都市の性格がかわる。工業都市が消費都市となる。現代都市は消費都市である。マンモス都市はとくにそうである。
▼東京、ニューヨーク、パリ、ロンドンなどみんなそうである。ここにも工業はないことはないが、そういうのは片すみで、売れのこりで、バスの乗りおくれである。
▼それがいいことか、わるいことか、それも一つの問題だろうが、いっそう大きいことは「世界史がここまできた」というヘーゲル的認識である。認識が第一である。大東京の性格をはっきりとつかもう。この人口集中をどうするか、肥大症をどう治療するか、交通難をどう処理するか、そういういっさいの問題もこの認識から出発すべきである。
(昭和37年2月5日)
※当時、産経抄は「声なき声」と呼ばれていました。