東京・自由が丘にある昭和32年創業のボタン洋裁材料店「ダック」には、国内外からえりすぐった約2千種類のボタンなどが取りそろえられ、各地からの客足が途切れることがない。「ボタンを変えるだけでいかようにも違う服にすることができるんです」と2代目店主の清水清子さん(79)。時が流れても、多くの人を引き付ける秘訣は、先代から変わらない提案型の接客だ。
まるで宝石箱
東急東横線の自由が丘駅から歩いて約5分。人気の雑貨店やカフェが立ち並ぶエリアにある商業施設「自由が丘テラス」2階にあるダックの店内に入ると、さまざまな色や形のボタンや洋裁材料が所狭しと並び、宝石箱に迷い込んだ気分になる。
「いらっしゃいませ」と優しく出迎えるのは清水さん。夫の叔母で、初代店主だった清水富美子さんからダックを受け継いだ。清子さんの次女の斎藤奈美さん(51)とともに二人三脚で店を切り盛りしている。
創業からのダックのこだわりは、売れればいいというのではなく、「最適なボタンの提案」だ。同店では、ボタンを合わせる生地や洋服を持参しない客には、商品の販売を断ることもある。ボタンを合わせる服の色が決まっていても、細かい色の違いなどで、イメージとは異なる仕上がりになることがあるからだ。
「ボタンはとっても奥が深いんですよ。実際に乗せてみないとわからないのです」と清水さんは説明する。
店内には約2千種類のボタンが取りそろえられていることもあって、初めて訪れた人が自分で気に入ったボタンにたどり着くのは容易ではない。
どのようなボタンを選べばよいかアドバイスを求める利用客には、服に最適なボタンを好みに合わせて提案する。その安心感も、ダックが選ばれる理由の一つになっている。
一時は廃業も検討
世代を超えて幅広い年代の客層から支持されるダック。だが、開業から現在に至るまでには人知れぬ苦労もあった。
生活様式の変化や既製服の隆盛により、国内で洋裁をする人は減少。そんな中でも、自由が丘は洋裁教室が集まる地域だったため、開業当初から根強い需要があり、客足が細ることはなかった。それでも、東日本大震災が起きた平成23年ごろには、洋裁教室の経営者の高齢化が進み、教室の減少とともに客足も徐々に鈍っていったという。
後継者のめども立たず、一時は店じまいも検討していたが、先代の「店を残したい」という情熱に押されて、店を手伝った経験のある清水さんが承継を決めた。
経営は厳しかったが、店舗を移転するなどして営業を続けるうちに、新たな需要を開拓。ともに店を切り盛りする斎藤さんの発案で始めたSNS(交流サイト)を使ったPRも功を奏し、北海道や鹿児島といった遠方の地域から訪れる客も増えた。
不変の魅力
最近、清水さんはある変化を感じている。それは値段を気にする客がほとんどいなくなったということだ。かつては、値段を聞いて購入をやめる客も珍しくなかったが、最近はこうしたケースはほとんどないという。
背景には、ダックのようなボタン専門店が減少したことで、気に入ったボタンを購入できる場所が失われつつあるという事情があるようだ。扱う店は減っても、ボタンそのものが持つ魅力は変わらない。だからこその客の変化なのだろう。
清水さんは「ボタンを変えるだけでいかようにも違う服にすることができるんです」と語り、「いろいろ試してみて、実際にボタンを変えたらこんなに違うんだって感じて楽しんでほしい」とほほえむ。
「最近はオリジナルのアクセサリーや編み物で使用するためにボタンを購入する人も増えている」と話す清水さん。先代の遺影が見守る店内で、これからも流行だけにとらわれないこだわりの品ぞろえを守り続けていく。(星直人)