Infoseek 楽天

天秤棒に鍋…国民党軍がやってきた 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<6>

産経ニュース 2024年8月6日 10時0分

《終戦後の1945年10月、まだ中国大陸で共産党と内戦中だった国民党軍は台湾北部の基隆港に上陸し、台北まで進軍してきた。赴任した陳儀行政長官兼警備総司令は歓迎する台湾の人々に「祖国の懐に深く抱かれたのだ」と演説した》

台湾人は能天気でお人よしだからね。陳儀長官の演説を信じ込んだ人もいて、それこそ青天白日旗を持って歓迎の姿勢を示したりした。でもその期待はあっという間に裏切られた。

兵隊もひどかった。あのころはまだ子供だったからあまり記憶にないけど、それまで日本の軍隊を見ているじゃないですか。軍服をさっそうと着こなし、きっちりゲートルを巻き、銃は肩にきちんとかけ、所作はきびきびしていた。

それが国民党の兵隊は、それこそ天秤(てんびん)棒に鍋や釜を下げて歩いていたり、軍服もボロボロだったり、履いているのは軍靴でなく草履だったり、歩き方も緩慢だったりと、軍隊の体をなしてないという印象が強かった。規律というものがない。子供ながらも分かった。戦勝国と言って入ってきたのに、敗残兵みたいな兵隊ばっかりだった。

それでもまあ、台湾人って善良だから、「こんなに大変な戦いしてきたんだ」というふうに解釈しようと思っていた大人もいっぱいいたけどね。

《そのうち政府関係者や軍隊以外の中国人も大陸から移り住んできた。混乱が生じるのに時間はかからなかった》

日本は統治したけど、日本人は順法精神があって真面目だから、社会に混乱はなかった。厳しかったことも当然あったけど、やっぱり台湾を本土並みに建設していこうとしていたわけよ。八田與一さんが水利を整備してくれたおかげで、お米は二毛作か三毛作、そして砂糖とかバナナ、樟脳(しょうのう)とかを輸出して、台湾の経営で日本も潤っていた。台湾にとっても日本の統治でプラス面とマイナス面を合わせれば、プラスになっていた。

だけど大陸からやってきた中国人は腐敗の極みだった。役人は威張っている。公務員って給料が安いじゃない。それを何で補っているかというと賄賂ですよ。そういうのが当たり前の人たちだった。物流にしても倉庫のものを横流ししたりとか。こうなると経済が成り立たない。すぐに物価が高騰して、貨幣の価値がどんどん下がって大変な状態に陥っていった。

後に夫となる周英明は、住んでいた高雄の港にある砂糖やバナナなどを保管する倉庫で、持ち主の貿易商が大陸からきた警察官から「品物を全部、外に出せ」と命じられ、「これは私の商品ですが」と釈明すると、「これは日本人が栽培させたものではないか。日本人の残した財産を隠蔽(いんぺい)している」と倉庫のすべてを没収したうえ、貿易商は留置場行きになったなんて話を聞いた。また1週間も家を留守にすると、知らないうちに大陸からきた中国人が住み着いてしまい、てこでも動かないなんてこともあったという。

《戦後、中国大陸から移り住んだ「外省人」ともともと台湾に住んでいた「本省人」との対立は深刻なものとなっていく》

外省人には教育を受けていない人も多かった。水道の蛇口をひねると飲み水が出ることを初めて経験したある外省人が、「これは便利」と金物店で蛇口を多数買い求め、立ち木や壁に蛇口を取り付けてひねったところ水が出ず、金物店に怒鳴り込んだなんてことも。これが笑い話でなく、実話というのが怖かった。日本統治下から一変し、法律も規範もまったく通用しない無法状態が、台湾全土で現れ始めていた。(聞き手 大野正利)

この記事の関連ニュース