昭和と平成の境目でカツアゲにあった
小学校のころ、大阪市の旧南区(現中央区)で祖父母が経営していた耳鼻咽喉科の2階に暮らしていました。近くにある神社によく犬の散歩に行っていましたね。界隈(かいわい)には今でいう〝反社〟の人たちも多く、同級生の親族が抗争事件に関わっていたことをテレビのニュースで知ったこともありました。
中学受験がブームとなった、たぶん最初の世代で、小学校のときから週4回とかで塾に行っていました。いい大学に行くために、小学校のときから塾に行って勉強するっていうサイクルに完全に組み込まれた生活をしていましたね。ファミリーコンピュータ(ファミコン)もクリスマスプレゼントでもらいましたが、1日15分です。おかげで15分でゲームをクリアするだけの力も身につけました。
近所に友達も少なく、物足りない思い出も多い小学校時代でした。ただ、学校にきれいな図書館があった。学期ごとに一番本を借りた人は賞状をもらえることになっていて、賞状をもらいましたね。それで物書きになろうとは思わなかったですが。
昭和と平成の境目はとても鮮明に覚えています。いわゆる「カツアゲ」にあいましたから。
学校が休みになったので、昭和天皇の崩御を新聞がどう扱っているかを知りたくて、いくつかの新聞を買いに行ったんですよ。そこで同い年くらいの学生3人に囲まれて、「こっち来い」って言われて。「何でこんな日にカツアゲしてくんねん」と隙を見て自転車で逃げましたが、あれは今思っても神がかりの速さでしたね。
今の小学生に猥雑な街が書けるか
長じて物書きになりました。物書きとしては、昭和を知っているかどうかで、描写力は確実に変わるんじゃないかと思います。
例えば、戦国時代の猥雑(わいざつ)な街や人の様子などを書くときに、昭和の街を知っていると自然と思い浮かべて書けると思うんですけど、今はもうエネルギッシュな街の様子は感じ取れない。今の小学生が将来作家になって猥雑な街を書くときに、どんな街を書くんでしょうか。
平成になって、いろいろなものが少しずつきれいになってきましたよね。それは昭和を振り返って「汚くていやだな、不作法でいやだな」というものを少しずつ改善し、洗練してきた結果だと思うんですが、それとともにエネルギッシュなものも少なくなってきた。
昔、見せ物小屋というものがありました。私も天神祭に連れて行ってもらったときに、父にせがんで「ヘビ女」のおどろおどろしい怪奇絵が掲げられた見せ物小屋に入ったことがあります。父には「後悔するからやめとけ」と言われたんですが。詳細は避けますが、15秒くらいで父に「もういい」って言いました。あの経験で社会を知りました。今はああいうものもなくなりました。
昭和とはいかがわしいけれどエネルギッシュなものがまかり通る時代だったんでしょうね。大阪にだけそれが少し残っているかもしれません。昔、作品にもしましたが、江戸時代の商人から培われてきた、商業主義や現実主義というものが背景にあるように思います。(聞き手 池田進一)