トロピカルな香り、赤いしずくの複雑な酸味と渋み…。いずれも国産の米と米麹、水のみで醸された正式な日本酒というから神秘的だ。高精米、淡麗辛口といった、従来の評価基準からは〝圏外〟になりそうな、多様な味わいの実験的日本酒が台頭している。昨年末のユネスコ無形文化遺産登録など世界的評価が高まる一方、国内では日本酒離れが進む昨今。伝統と新技術と感性の融合が日本酒の新時代到来を期待させる。
若い世代による「サケムーブメント」の潮流
清酒大手「月桂冠」(京都市)では、実験的な日本酒を試作段階から商品化(EC通販・数量限定)し、客の声を商品に反映してアップデートさせてゆく「Gekkeikan Studio(ゲッケイカン・スタジオ)」プロジェクトを令和3年にスタート。8種の酒を商品化している。
昨年11月発売の最新作「No.5(ナンバーご)」は、古代米の色素を生かした赤い日本酒だ。口に含むと赤ワインの新酒のような渋みや酸味が広がる。同時発売の「No.3.1(ナンバーさんてんいち)」は、パイナップルの甘い香りが華やか。完売済みだがメロンや桃の風味の日本酒も商品化している。「すべて酵母の働きのなせる業。ばくちみたいな面があって、何百という酵母からどんな味ができるのか、試すことから始まります」とプロジェクトリーダーの大倉泰治さん(35)。月桂冠創業家15代目にあたる常務取締役である。
京都大卒業後、東京の大手証券会社に勤務している頃、東京を中心に外国人も巻き込んだサケムーブメントが起きていた。清酒醸造免許の新規取得が難しい起業家が、米、米麹に副原料を加えた新たな醸造酒「クラフトサケ」に挑戦する姿などに触発された。「先端技術を持ち設備にも恵まれている、うち(月桂冠)なら何ができるのか。東京のマニアに刺さる、良い意味でとがった日本酒をつくってみたい」
平成31年、家業に入社。プロジェクトとして形にしたゲッケイカンスタジオの商品は一律3300円(720ミリリットル瓶)で、精米歩合の表記もしていない。理由は「先入観なく、自由に純粋に味わって評価してほしい」から。プロジェクトの研究員2人も京大同窓で同学年。創業寛永14(1637)年、明治期に日本酒メーカー初の研究所を設立した伝統の上に、日本酒のイノベーションを起こす。
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東京・新橋の飲み屋街でも日本酒の新たなトレンドが顕著だ。路地裏の2階、「酒と肴(さかな)ひらの」では客層が若返り、20、30代の男女が急な階段を上ってくる。
「好きなお酒が決まっている中高年と違い、若者ほど実験的な日本酒への興味も強い。酒離れといわれるが二極化していて、大学の日本酒サークルやイベントも活況。醸造の背景を知りたいとか新しい味への探求心から、お客さんの半分が30代以下や女性ばかりになる日もある」と、店主の瀬川大地さん(44)。19席が毎夜ほぼ満席だ。
宮城県気仙沼港直送の魚介を中心としたさかなに、目利きした日本酒が常時約50種。「十四代」「而今(じこん)」といった垂涎の高級地酒から大手、クラフトサケまで幅広く、価格幅も広いが1杯(90ミリリットル)400円~。
瀬川さんは造り手の変化も指摘した。「たくさん米を削る大吟醸が良いとの価値観ではなく、地元農家さんのお米を大切に使って、あまり磨かなくてもきれいな味のお酒を造る、若い蔵元さんが増えてきた」
ゲッケイカンスタジオもわざわざ個人購入して扱っている。「想像できない味わいが感動と喜びにつながる。さかなとの相性でさらにおいしく飲んでもらいたい」。従来の日本酒にないタンニン感があるNo.5にはサンショウを利かせた鶏レバーにカモやマグロも。パイナップル風味のNo.3.1はぬか漬けやチーズを。「魚介ならホヤ。初夏には気仙沼から取り寄せます」
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月桂冠が昨年全国発売した「アルゴ」は、ゲッケイカンスタジオから派生した手頃な低アルコール日本酒で、飲まなかった層も取り込んでいる。実験が日本酒の概念を広げ、また新たな景色を見せてくれそうだ。(重松明子)