「昭和54年2月26日、太地沖東方15マイルの地点で、太地突棒船がシャチの群(雄2、雌3頭連)を発見し、僚船8隻で包囲しながら太地定置網に追い込んで生け捕り、うち2頭(雄、雌)を本館が購入して、自然プールに飼育することになった」
くじらの博物館が1982(昭和57)年に発行した冊子「和歌山県太地で捕獲されたサカマタの飼育について」にこう記録があります。「サカマタ」とはシャチの別称で、矛を突き上げたように見える雄の背びれに由来します。
この冊子には続けて「わが国で無傷の野生のシャチを生け捕り、飼育したのは初めてのこと」と記されています。
日本のシャチ飼育の事始めは、1970年までさかのぼります。千葉県の鴨川シーワールドが、米国のシアトルで捕獲されたシャチ2頭を空輸し、同年10月の開館とともに展示を開始しました。
1978(同53)年には白浜町のアドベンチャーワールドがシャチ1頭を飼育しましたが、それも米国からでした。そして翌年、先述の通り、太地でシャチを沖から定置網に追い込み、国内初となる無傷での生け捕りに至ったのです。
定置網に追い込まれた5頭は、町内の森浦湾の一角に設置された円形金網いけす3基に運び込むことになりました。その時の作業の様子が、冊子に細かく書かれています。
「取上げ作業は定置網の袋網(魚だまり)部分を少しずつ絞りサカマタの遊泳範囲を狭くした後、数人が水中に潜ってサカマタの胴体部へロープをかけた。そして、あらかじめ沈めておいた取上げ網でサカマタをすくい取り、漁船2隻が両側から抱き挟んで運搬した」とあります。
その作業を見守った当時の獣医で、現在は博物館の顧問、白水(しろうず)博氏は「シャチは海の食物連鎖の頂点、獰猛(どうもう)な印象が強く、終始緊張がぬぐえなかった」と振り返ります。一方で、「目の前の海で圧倒的な存在感を放つシャチを、飼いたいと思わないわけがなかった」と語り、飼育への意欲も高かったといいます。
当時、全国的には知名度が低かったシャチですが、太地ではよく知られた鯨類でした。1963(同38)年からの17年間に捕鯨砲によって48頭が捕られ、他のクジラと同様に鯨肉として親しまれていました。
定置網で捕獲されたシャチの全ての運搬には2日がかかりました。漁師の手際が良かったためか、シャチは意外にも落ち着いていたそうです。白水氏は「漁師がシャチに尻込みすることなくやってのけたのは、何代にも渡って大きなクジラに挑んできた太地の『血』だろう」と言います。
太地の海に生息するシャチ、そのシャチの飼育に思いをはせるスタッフ、そして鯨捕りの血。太地におけるシャチ飼育は必然だったように感じます。
(太地町立くじらの博物館館長 稲森大樹)