先の大戦中の昭和19年10月25日にレイテ沖海戦で米軍によって撃沈され、多くの乗組員が戦死した旧日本海軍の戦艦「扶桑(ふそう)」と「山城」の慰霊顕彰祭が4日、石清水八幡宮(京都府八幡市)で営まれた。同海戦から今年で80年。遺族ら約20人が参列し、両艦の功績をたたえ、犠牲者らを追悼した。
旧日本海軍の戦艦などには当時、「艦内神社」がまつられており、扶桑と山城には石清水八幡宮から分霊。艦内神社の研究者で日本経済大准教授の久野潤氏が代表幹事を務める「顕彰史研究会」が、慰霊顕彰祭を主催している。
慰霊顕彰祭は、撃沈された10月25日に近い日程で毎年営まれており、今年で12回目。祝詞奏上後、久野氏が「祖国を守り大東亜を守らんとした奮闘を忘れてはいないのだと思っていただける令和の日本でありたいと願う」などと祭文を読み上げた。
扶桑の乗組員で当時10代で命を落とした山岸孝夫さんの妹の山田満里子さん(83)=名古屋市=ら遺族4人が初めて参列。「兄たち犠牲者のためにこうした慰霊顕彰祭をしていただき感謝しています」と話した。