「慰霊は私の使命」。全国戦没者追悼式で最高齢遺族として参列した北海道網走市の長屋昭次さん(97)。中国で戦病死した兄の保さん(当時26)と特攻で出撃していった先輩たちへの思いを胸に、つえをつき、ゆっくりと会場に入った。
8歳上の保さんは鉱山や電機関係の仕事をしながら家族の暮らしを支えてくれていたが、もともと体の弱い人だった。
昭和17年7月、招集を受けたが、「使いものにならない」とすぐに家に帰された。戦況の悪化を受け、同年10月に2度目の招集。兵站部隊に配属が決まった。「帰ったら働いて、お前を進学させてあげる」。昭次さんにそんな励ましの言葉を残し、出征していった。
20年7月、中国・天津の病院に入院したという保さん。同年12月に肺結核で帰らぬ人となった。
「あんなにも体の弱く細い兄も兵隊に行かなければいけなかった」。今もやるせなさがこみあげてくる。大黒柱を失った家族の生活は困窮した。
保さんの出征後、昭次さんは16歳で少年飛行兵に志願した。朝鮮半島に渡り、厳しい訓練を受けいた最中に終戦。特攻隊として出撃していった先輩たちへの思いも強い。
「17歳で亡くなった先輩もいる。戦争が続いていれば、私もここにはいなかったと思う。生き残った私が慰霊にくるのは使命だと思ってきた」
ただ年を重ねるごとに体は思うように動かなくなっている。「最後になるかもしれない」。そんな思いを胸に今年も、追悼式への参列を決めた。
今も世界各地で戦争が続く。「戦争の怖さを忘れることはできない。戦争の怖さを知らない人たちが多い。戦争は絶対にやってはいけない」(三宅陽子)