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「神業」ドラッグバントの極意とは イチローに破られた日本記録「うれしい人はいない」 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<16> 

産経ニュース 2024年12月17日 10時0分

《〝広角打法〟〝安打製造機〟と呼ばれ、現役生活23年間で昭和41年からの9年連続を含む16度の打率3割以上をマークした張本さん。36年から13年連続20本塁打以上とパワーも兼ね備え、しかも小技もうまい。それは〝神業〟ドラッグバント…》

ドラッグバントは、左打者が一、二塁間方向へ転がすんだ。投手と一塁手の間にね。全然自信はあった。セーフになるとわかる。私は笑いながら走ったんですよ。それくらい余裕がありました。

今は誰も正式に教える指導者がいないが〝コツ〟がある。

まず構えてバックスイングして、バントをしないようにみせる。投手や一塁手はバントするんじゃないかと様子をうかがってくる。打者がバントする場合は、構えたとき、体が早く開いて前の方にくる。守る方はその〝ちょっとした動き〟を察してスタートをきる。ただ〝打つぞ〟とバックスイングするだけでは、わざとやっているとみられて相手は警戒するんだ。

悟られない方法がある。バックスイングを取ると同時に左打者なら、投手側の〝右足のかかとを上げる〟のがポイントなんです。ちょっとでも上げると守っている方は、スタートをきれないんです。

今の打者はバントするときに必ずといっていいほど(左打者なら右)肩が開く。しかもバットに当てたあと右足からスタートしている。逆なんだ。左足からスタートする。左足を投手方向に踏みだし、クロスさせると1歩目が大きく出せる。右足からだと小さな1歩でしかない。〝最初の1歩が勝負〟です。それでセーフかアウトかが決まる。天と地の差です。

近鉄のブルームに教えてもらった。21回試みて20回成功させたシーズンもある。私の大きな武器になりました。

《ブルームは35年に近鉄に入団した二塁手。37年に3割7分4厘、38年に3割3分5厘と2年連続首位打者に輝く。40年に南海に移籍、翌41年退団。7年間で通算打率は3割1分5厘》

外野を守っていて、彼の絶妙なバントヒットに感心していたんだ。ある日、片言の英語でブルームのところに行った。陽気なヤンキーで、いい男でね。「教えてやるからステーキをごちそうしてくれ」っていう。遠征で上京したとき、赤坂のステーキハウスでふるまって、その場ですぐ教えてもらったんだ。彼は兵庫の芦屋に住んでいた。大阪遠征では、家に招待してくれた。東映は芦屋の竹園旅館に泊まっていて、近いんです。アメリカ人でも義理堅い男だよ。奥さんと娘さんもいて、その後も親しくしていただいた。

《45年10月18日の阪急戦、最終打席で山田久志投手からドラッグバントで一、二塁間に転がして内野安打で5打数4安打。打率を3割8分3厘4毛とし、26年に東急時代の大下弘さんが記録した3割8分3厘1毛を抜いて新記録を達成した。当時メディアから「ホームランを打てるのにバントでヒットを稼いでいる」という批判もあったが…》

あの年、ゲームの途中でしたが、4割に乗せていたかも…というときがありました。9月半ばに3割9分8厘までいった。後楽園のロッテ戦です。あと1本打てば4割だった。その数字を瞬間でもバッチリ残せば、将来の財産になるわなと思ったんですが、次の打席で力んでしまってファーストゴロだった。とにかくドラッグバントは私の武器のひとつです。

その日本記録も日本人ではイチローに抜かれた(平成6年、3割8分5厘、同12年、3割8分7厘)。バースの3割8分9厘(昭和61年)が最高記録でしょ。(イチローに更新された通算)3085安打のときもそうですが、自分の記録を破られてうれしい人は誰もいません。でも自分では止めようがない。やっぱり内容をみたら評価すべきだし、もちろん評価しています。(聞き手 清水満)

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