《テレビの司会が増えていった三宅裕司氏。その中でも、平成元年2月に始まった「平成名物TV いかすバンド天国」(イカ天、TBS系)はインディーズバンドが競い合い、イカ天キングを決定するというのが話題を呼んだ。日曜午前0時半からという放映時間にもかかわらず、視聴率5~8%をたたき出す人気番組となった》
僕の所属している事務所「アミューズ」は本来、音楽事務所ですから、「インディーズのバンドが結構きている(流行している)ので、いろいろなバンドを呼んで番組を作ろう」となったんです。
イカ天を制作するテレビ番組制作会社ハウフルスの菅原正豊会長が、僕をかわいがってくれていました。それで僕を司会に使ってくれて、深夜としては驚異の視聴率となったわけです。イカ天をやろうという流れと運が一緒について回っていますね。
もちろん、僕がバンドをやっていたので、やらせてみようかみたいな感じもあったと思います。全く音楽を知らないことよりもね。
《イカ天は、BEGIN(ビギン)、たま、BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティー)ら多くの人気バンドを輩出した》
テレビ業界って、視聴率を取れるタレントはものすごい大事にします。
「いい加減にします!」(日本テレビ系、昭和59~60年)の番組収録がものすごくて、コントを1日20本ぐらい撮るのですよ。もうくたくたです。
でも、疲れてくると、番組のプロデューサーが「いいすし屋を予約してやるから」って言うんですよ。
そこが今まで、行ったこともないような本当にいいすし屋なんです。僕、すしに弱いんで、そのために頑張るんです。
すし屋で1杯目に飲む生ビールのうまさは最高でね。だってずっとしゃべってますから。
1日に20本のコント収録となると、短いのもありますが、着替えとかも大変ですので、朝から午後10時ぐらいまで十数時間缶詰めです。汗びっしょりでくたくたで、好きなだけ食べられるすしのために頑張れる、みたいなところがありました。
「テレビ探偵団」(TBS系、昭和61年~平成4年)のころになると、どんどんテレビ局の対応がよくなってきて、送迎のタクシーが普通車ではなくて、大きいタクシーになりました。
また、司会者はゴルフをやらなければいけないみたいな感じがあって、ゴルフコンペに行くときも大きな車で迎えに来てもらったりしました。
「きっと俺、調子に乗っちゃうだろうな」と思ったら、調子に乗っちゃいました。
でも、そういう世界です。調子に乗らないとできないですよ。「きのう寝ていないんで」って自慢げに言ってましたから。それだけ仕事が入っているんです、人気があるんですよ、というアピールですから。
まさに「24時間戦えますか」です。
《「24時間―」は製薬会社、三共(現第一三共ヘルスケア)が昭和63年に発売したドリンク剤「リゲイン」のコピー。バブル期のサラリーマンの仕事ぶりを象徴する言葉となった》
今だから、そういう仕事の仕方はだめだといえるんです。でも、そのころは来たものはやるって考えでね。やっと売れてきたし、やりたいって思いますよ。そのときでなければ、もうできないんです。
難しいところですけれどね。うまく力を配分できるかどうかというのも含めて。(聞き手 慶田久幸)