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「堂々と半袖着たい」リストカットの傷も心も癒す新治療法 やけど治療の自家培養表皮応用

産経ニュース 2025年1月18日 18時11分

高校時代のいじめなどをきっかけに自傷行為に走った関東地方の20代女性は、腕の傷痕を隠す生活を続けてきた。転機は昨年、自分の表皮細胞を培養した「自家培養表皮」を使う新しい治療法を受けたことだ。手術痕は今後消えるといい、心も前向きになれた。担当した医師は「自傷行為の傷痕で苦しんでいる人は多い」と、人生の再出発を後押しする。

セーターの左袖をまくると、上腕部分には、自傷行為の傷痕を消した手術痕が残る。

「手術痕は時間をかけ、きれいになっていくそうです。何より傷が見えなくなったことがうれしい」。明るく語る女性の表情からは、自傷行為に及ぶほど追いつめられた過去はうかがえない。

自傷のきっかけは高校2年のとき、女子グループ内でいじめの標的になったことだった。自宅では酒を飲んだ母親から繰り返し暴力を受け、家庭内別居状態の父親は自室にこもりきり。家を出た姉とも疎遠で相談相手はいなかった。「どこにも居場所がない」。常に誰かの顔色をうかがう生活に疲れ、自分が誰なのか分からなくなった。

ある日、自室にいると、授業で使う彫刻刀が目に入った。左手首を切ると、行き場のない気持ちが幾分和らいだ。その後は習慣となり、左上腕にも傷が増えていった。

半年ほど続いた行為は偶然、傷を見つけた部活動の顧問に事情を聴かれてやめることができた。ようやく「味方ができた」と思えた。

以来、自傷行為はしていないが、長袖やサポーターで傷を隠した。「傷を見るたびに嫌なことを思い出すし、人目も気になる」。衝動的な行動に後悔ばかりが募った。

やけど治療応用

新たな治療法があることは一昨年に知った。傷痕と周辺の皮膚を薄く削り、患者自身の表皮細胞を培養しシート状にした自家培養表皮を移植する手法だ。自傷の痕などの治療に特化した「きずときずあとのクリニック」(東京)院長で形成外科医の村松英之さん(50)が15年以上前、重度のやけど患者を治療した経験から考案した。

やけどの治療では、患者の尻や鼠径(そけい)部などダメージを負っていない表皮細胞を培養し、やけど痕に移植して皮膚を再生させる。村松さんは「培養した表皮を使うとやけどの治りがきれいで、皮膚の引きつれやかゆみなどのトラブルも少なかった。いい意味で衝撃を受けた」と振り返る。

平成29年に開業したクリニックでも培養表皮による自傷痕の治療を検討。帝人グループの再生医療メーカー「ジャパン・ティッシュエンジニアリング」(愛知)から技術提供を受け、令和5年末から自傷の痕に悩む20代女性を含む9人に試験治療を順次実施した。

元の傷が広範囲だと培養表皮を移植した部分の盛り上がりが目立つ事例もあったが、小さい傷は見えなくなって手応えを感じた。昨年11月、正式に診療内容に追加した。

ただ、培養に1カ月程度かかる上、保険適用外のため費用は約10センチ四方で約160万円。村松さんは「決して安価ではないが、傷痕があると人間関係などで不利益を被ることもある。傷痕をきれいにすることの意義を感じる」と話す。

「(いじめなどの)記憶は消えないけど、これからは堂々と半袖を着たい」。女性は治療の成果にほほ笑んだ。

若者に多い自傷 代償大きく

精神的な疾患や自殺願望が原因とみられがちな自傷行為は、実は「負の感情」を和らげたいという気持ちが隠されているとされる。特に10~20代の若者に多いが、社会に出てから傷痕への視線に悩むケースが目立つ。

厚生労働省によると、自傷行為は必ずしも自殺願望が背景にあるのではなく、怒りや劣等感といった精神的苦痛を緩和させたいとの思いがあるという。自尊心の低さや虐待などが引き金となり、次第に常態化する。

ただ、代償は大きい。形成外科医の村松英之さんによると、大人になって傷痕があると社会的信用を失ったり、人間関係をうまく構築できなかったりする経験者も少なくない。運営するクリニックには、自傷の痕を消したいという患者が年間200~300人ほど訪れるといい、「それだけ自傷行為に対する偏見は強い」と強調する。

自傷行為への誤解や偏見をなくしたいと令和4年、「日本自傷リストカット支援協会」を設立。精神科医らと連携して啓発活動を続ける。村松さんは「自傷で悩む方がいない社会を作っていきたい」と話した。(小川恵理子)

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