《シルクのイメージキャラクター、松方弘樹さんを紹介してくれた芸能事務所の関係者から連絡があった》
その関係者はにしきのあきらさんの事務所から離れ、独立して芸能事務所の社長さんになっていた。で、「事務所の経営に関わってくれませんか」と頼まれたわけです。前に話しましたが、僕は中学3年生のときに「スター誕生!」のオーディションを受けたくらいで、芸能界には興味があった。そこでこの事務所に月150万円、融資することにしたんです。
それが2年間ほど融資を続けても、売り上げが全然ない。もう限界かなと思って、この社長さんに「お金は返してくれとは言いません。もう事務所を閉じましょう」と言ったのね。そうしたら社長さんが「石田さんの会社で働かせてくれませんか。オペレーターをやるから」って言うわけ。うちはオペレーターは女性だけだし、この社長さんができるような仕事もない。でも松方さんを紹介してもらったし、どうしたものか、と。
そこで「分かりました。では僕が芸能事務所を経営しますので、手伝ってくれませんか」と提案したんです。こうして44歳で芸能事務所の経営に参入することになりました。
《所属タレントを集めることから始まった》
まずはこの社長さんに「タレントさんを探してくれませんか」と頼みました。そうしたら1カ月後、「石田さん、いい歌手が見つかったよ。有名な人ですよ」って、写真を持ってきた。なるほど、どこかで見たことのある人です。社長さんは「『狩人』ですよ。あの『あずさ2号』の」と言う。
ああそうか、狩人だったのね。いや、待てよ。狩人って兄弟2人じゃなかったか。で、「もう1人は?」って尋ねたんです。それが「いや、契約したのはお兄さん1人で」って。おいおい、1人では「あずさ2号」は歌えないだろう、って。それで後日、弟も呼んで中華料理店で面談し、晴れて2人で所属歌手になってもらいました。事務所名は「有限会社あずさ2号」、営業のときに一発で分かるからいい名前と思ったのです。平成15年のことでした。
《狩人を売り込んだ》
僕は芸能界は素人ですから、イベント会社にもマスコミにも知り合いはいない。で、何をしたか。通販のカタログやチラシなどを作る要領でダイレクトメールを作りました。そこにイベント出演料として「1ステージ80万円、2ステージ160万円」と書いたあと、この「160」にバツをつけて「100」と書く。こうしたお得感を出したダイレクトメールを、企業やホテル、自治体、商工会議所などに送り、イベントに呼んでもらおうという作戦です。
そうしたら、部下になったあの社長さんが飛んできた。で、「石田さん、やめてください。出演料を表に出してしまえば芸能界で生きていけなくなります」と必死です。聞けばタレントの出演料は秘中の秘で、交渉次第で何十万円も上下するのだという。でも仕事を取りに行かなければなりません。構わず発送しました。
あとは新曲です。ちょうど路上でのたばこのポイ捨てが問題になり、都内ではポイ捨て禁止運動が盛んだったころでした。そこで狩人の2人に「どんポイ!(Don’t Poi!)」という新曲を作ってもらった。たばこのポイ捨てをやめ、シンガポールみたいなキレイな街にしよう、と訴える曲です。
次はPRです。区役所に連絡し、職員や周辺住民がボランティアでゴミ拾いをする日に、「狩人も参加させてください」と頼みました。そうしたら狩人がゴミ拾いをしている姿を、テレビの情報バラエティー番組が放送してくれたんです。新曲「どんポイ!(Don’t Poi!)」もちょっと。ダイレクトメールやゴミ拾いの効果もあって、「あずさ2号」は初年度、1億2000万円ほどの売り上げを達成しました。(聞き手 大野正利)