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南の果てで味わった絶望 雪上車になぜかシャンプー、隊員みんなで回し嗅ぎ 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<24>

産経ニュース 2024年7月25日 10時45分

《過酷を極めた南極大陸の1000キロ内陸にある「ドームふじ観測拠点」(現「ドームふじ基地」)を往復する旅行隊の同行取材。緩やかな上りが果てしなく続く白い大陸。往路だけでも3週間を要した》

荷造りなどの準備が整い、内陸旅行の出発拠点となる南極大陸の「S16」ポイントを出発したのは、暮れも押し詰まった平成8年12月29日。その前夜、昭和基地にいる第38次南極観測隊の仲間が、旅行隊に無線でエールを送ってくれました。

その中に、歌が得意な隊員がいました。海上保安庁から派遣された通信を担当する越冬隊員です。その人が突然、都はるみの「北の宿から」を歌い始めたんです。朴訥(ぼくとつ)とした声が、雪上車の中に響きました。8日間のつらい荷役作業を終えて準備が整い、さらに厳しい内陸への旅を前にして聞いた歌に、思わず涙がこぼれました。

旅行隊は初日に30キロ進み、標高が1000メートル上がりました。でも、白一色で目標物が何もないため、雪上車を運転していても傾斜は分かりません。ただ、気温は一気に下がり、雪上車の外に出た途端、鼻から出た水蒸気でひげが凍り付くようになりました。

大みそかには、忘れられない出来事がありました。ある隊員が雪上車の中で、シャンプーを見つけたんです。以前に雪上車を使った隊員のものと思われましたが、風呂がない場所を行き来する乗り物の中に、どうしてシャンプーがあったのかは分かりません。なんとなく蓋を開けると、何ともいえない香りが漂いました。

ずっと風呂に入っていない状況で、思いがけずかいだシャンプーのいい香り。風呂上がりの光景が浮かびました。思わず隊員みんなでシャンプーを回して、香りをかぎました。本当に情けなくて、苦笑するしかありませんでしたね。

《同じ第38次南極観測隊の同行記者として、筆者が昭和基地をベースに観測の現場や隊員の日常、ペンギンの集団繁殖地などを取材していたころ、宮嶋氏がいたのはひたすら真っ白なだけの世界。単調な風景の中、悪戦苦闘が続いた》

往路の旅行隊は13人。私はSM50型雪上車を運転しました。シートは硬く、リクライニングもありません。激しい振動と騒音でした。南極大陸には常に一定方向から吹く風の影響で、サスツルギという凸凹があり、乗り越えるときの上下動はすさまじいものでした。

雪上車の整備も自分でやりました。氷の上に寝転んで、車体の下にもぐって氷を落としたり、ボルトを交換したり…。エンジンとミッションの整備も。おかげで雪上車の構造には詳しくなりました。極寒の中での作業は毎日2回、いずれも1時間ほど続きました。これも、きつかったです。

あと、私は高度に順応しにくい体質で、高山病になりやすいんです。富士山よりも高いドームふじ(標高3810メートル)を往復する旅行の間、ずっと頭痛に悩まされました。すぐに息も切れるし…。真っ白い大陸を雪上車でじわじわ、ゆっくりと上るので、景色から変化を感じることはありませんが、体調にはしっかりと変化が表れていました。

移動中、天候が悪化してホワイトアウトになると、全く写真は撮れません。焦っていたので、そんなときのことが印象深く残っています。肉体的、精神的な苦痛に加えて、無力感と絶望感。「明日もこうなのか」とか「いつ終わるんだ」とか。南極大陸では、そんなことばかり考えていました。

《当時、ドームふじでは隊員9人が越冬し、地球の過去の気候変動を探るため、南極大陸の厚い氷を掘削していた。旅行隊は第38次越冬隊員と物資を送り、帰りは極地で仕事を終えた第37次越冬隊員と一緒に氷のサンプルを持ち帰った》

(聞き手 芹沢伸生)

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