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柳文卿事件で三島由紀夫に電話 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<23>

産経ニュース 2024年8月24日 10時0分

《昭和42(1967)年8月、台湾独立運動を阻止する国民党政府と日本の入国管理局との〝密約〟によって収容された林啓旭氏と張栄魁氏を強制送還寸前で救出することに成功した。その後しばらく、入管を通じての国民党の妨害工作は鳴りを潜めていたのだが…》

翌43年3月だった。特別在留許可(特在)の仮放免の更新で入管を訪れた台湾独立建国連盟のメンバー、柳文卿が「特在は不許可」とされ、不法滞在として強制収容された。独立運動をしていた柳文卿がそのまま強制送還となれば重刑か、最悪の場合は人知れず処刑される。またも救出が急務になった。

林啓旭と張栄魁が強制送還から逃れることができたので、柳文卿も油断したんだろうね。入管での更新が午前中だったら、強制収容されても連盟のリーダー、黄昭堂や弁護士が入管と交渉できる。でも柳文卿が入管を訪れたのは夕方で、しかも同行者はいなかった。これでいいカモになっちゃったわけ。

台湾独立建国連盟に柳文卿を強制収容したとの連絡が入ったのはかなり遅い時刻。黄昭堂と弁護士が入管に駆けつけたけど「面会時間は過ぎています」と言われ、しかも強制送還は翌日という。林啓旭と張栄魁のときは東京地裁が強制送還の執行停止を命じたが、その時刻では地裁も開いていない。万策尽きた状況になってしまった。

《翌日までに柳文卿氏を救出しなければならない緊急事態。ここで黄昭堂氏が強行手段に打って出る》

黄昭堂はこの日の夜、台湾独立建国連盟の主要メンバーを集めて2つの方策を立てた。いずれも柳文卿が航空機で強制送還されるまでの時間稼ぎで、ひとつは護送車が羽田空港に到着する途中で車をぶつけて交通事故を起こし、航空機の出発時刻に間に合わなくする。もうひとつはそれがダメだった場合、羽田空港内で柳文卿を奪還する騒ぎを起こして航空機には連行させない、というもの。

黄昭堂のこの提案はただちに実行され、メンバーは自動車免許を持っている3人の車に分乗し、東京入管の収容所があった品川と横浜、そして羽田空港に急行することになった。私の夫、周英明は横浜行きとその後の羽田空港が担当。現場でもみあいになるのは分かっていたから、「けがしないようにセーターを重ね着して」と送り出したことを覚えている。

《柳文卿氏の奪還は…》

ああいった緊急事態では、おのおのの個性が出ちゃうんだよね。常に冷静な許世楷は奥さんに「大丈夫だよ。悪ければ足の一本も切ることになるかもしれないけど、命に関わるようなことはないだろう」と言って車を運転して出発したらしい。

同じく車で現場に向かった廖春栄はもともとおっちょこちょいで、肝心なこの場面で車が動かなくなっちゃった。古い中古車だったうえ、あせってふかしすぎたみたい。素人のやることってそういうことなのよ。いろいろ考えたって、みんな留学生でしょ。用意周到にできるのかっていってもできないわけ。

私はその日の深夜、通訳の仕事で顔見知りになった岸信介元首相のご自宅を訪ねて呼び鈴を鳴らした。もちろん出てくれない。そこで著名人に声を上げてもらおうと思って、三島由紀夫さんの自宅に電話した。あのころは電話帳があったからね。そしたら本人が出たのよ。必死に訴えたけど、返事は「僕は興味ありません」だった。

交通事故の作戦は護送車を特定できずに不発で、羽田空港が最後の頼みとなった。黄昭堂たちは柳文卿を護送していた入管や空港職員に体当たりなどをしたけど、柳文卿はそのまま台湾に移送された。黄昭堂たちは公務執行妨害や航空法違反、威力業務妨害で逮捕されたけど、羽田空港での騒ぎがメディアに取り上げられたので国民党も手荒なことができず、柳文卿は台湾で拘束されただけですんだのよ。

(聞き手 大野正利)

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