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3首相のクビは取ったけれども…サンプロ現象も手法に限界「批判するだけではダメだな」 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<26>

産経ニュース 2024年10月27日 10時0分

《『朝まで生(なま)テレビ!』(「朝ナマ」)の2年後(平成元年4月)にスタートした日曜朝の情報番組『サンデープロジェクト』(「サンプロ」)。次第に番組の看板となった田原さんのコーナーは、ときに政権を揺るがすまでにも…》

番組に、与野党の政治家を呼んで、僕が疑問に思っている問題を追及する。政治家にしても、〝縛りなし〟で自由に言いたいことが言えるから喜んで出てくれましたねぇ。

そのうちに、各新聞社の政治記者がテレビ局に来て、生放送を〝張る〟ようになった。番組中に(大物)政治家たちが発言したことが、ニュースになるからです。これは見逃すわけにはいかない。それが翌日の朝刊の記事になる。やがて「サンプロ現象」と呼ばれることになったんですよ。

それまで、新聞の、特に政治記者はテレビなんか相手にしていなかった。はっきり言えば「格が下」に見ていたんですな。テレビ局の記者も(新聞に)コンプレックスがあったと思う。その関係が、すっかり変わってしまったわけ。

《田原さんが以前の本欄で語ったように、テレビは出演者の生の声から表情まで映し出す。生放送だから「言質」を取られると、言い訳をすることもできない。こうした手法で「3人の首相」退陣のきっかけをつくった、と田原さんは言う》

最初は、海部(※俊樹氏、首相在任は平成元年8月~3年11月)首相でしたか。竹下派(当時)の力で政権の座についた人で、(「サンプロ」に反主流派だった)〝YKK(山崎拓、小泉純一郎、加藤紘一の各氏)〟が出演して、それ(竹下派支配)を散々批判した(※その後、「海部おろし」という倒閣の動きが激しくなった)。

次は、その後継政権だった宮沢(※喜一氏、同3年11月~5年8月)首相でした。総理へのインタビューを行う番組で、「政治改革」をやるか、否かという僕の質問をめぐって、結局退陣に追い込まれたわけ。

3人目は、橋本(※龍太郎氏、同8年1月~10年7月)首相。「恒久減税をやるか?」と言う僕の質問に橋本さんは「税制改革をやる」と言うばかりで、明確に答えない。さらに僕が「はっきり言え」「ごまかしだ」と厳しく追及したら橋本さんは絶句してしまう。そんな表情までテレビは映し出すからたまらない。恒久減税の問題はその後、迷走し、自民党は参院選に惨敗。橋本内閣は総辞職することになりました。

(政権・与党側からの)圧力ですか? それはありましたよ。自民党が(「サンプロ」には)「党三役(幹事長、総務会長、政調会長)は出さない!」っていう〝お触れ〟を出したりしたこともあったなぁ。

でも、実際にはまったく困らなかった。つまり〝(「サンプロ」に)出たい人〟がいっぱいいたから。締め付けなど、お構いなしですよ。

《ただ、3首相のクビを取ったものの、田原さんはこの手法に限界を感じていた》

僕は「反体制」をずっと自任していたから、政権を批判し、首相のクビを取ることに意味がある、と考えていた。

だけど、首相が代わっても、日本は一向に変わらないし、良くもならない。これは批判するだけではダメだな、対案を出さないといけない、と…。

そこで僕は、テレビで追及するのではなく、サシで直接、首相に会って、言いたいことをストレートにぶつける、というやり方に変えました。

「こういうことをやったらどうか?」「あれはダメですよ」と、具体的に提案することにしたのです。(聞き手 喜多由浩)

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