およそ100年前に始まった民藝運動。その本拠となるのが東京・駒場の日本民藝館だ。毎年、全国から工芸の作り手が新作を寄せ、伝統的な技術の継承や、「用の美」にかなっているかを確かめる。暮らしに息づく美の再発見の営みは今も続いている。
最優秀は「桶」使い方に弾む会話
年一度、手仕事の新作を集める「日本民藝館展」。令和6年度、応募1608点から最優秀に選ばれたのは、漆塗りの小さな桶(おけ)だった。
日々の生活に必要な「用に即した健やかな工芸品」が入選する。桶は堂々として美しい。が、「これ」と用途がすぐ浮かばない。
「目を引き、欲しくなるフレンドリーな存在感。選んでから、ところでこれ使い方は何だろう、って考えました」と日本民藝館長で、世界的プロダクトデザイナーの深澤直人さん。後に「お酒を冷やすもの」と思いついたそうだ。
館内は来場者の会話が絶えない。「器や籠を眺め、どんなふうに使おうかと想像をふくらませているのが伝わってきます」と学芸員の古屋真弓さん。実用性を旨とする民藝の品は「使い手の側にも、用途を見立てる創造性が求められます」と教えてくれた。
用にかなって、美しく、温かな形に
100年前、それまで粗野な安物を指す「下手物(げてもの)」と括られていた「不断遣い(使い、とも)」の品々に、思想家の柳宗悦、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らが「民藝」と名を与え、光をあてた。無名の職人が使われることを目的に作った民器には「健やか」な美しさがあると気付いたのが、民藝運動のきっかけだった。
「名工が殿様に渡すために作ったものはスペシャルな美しさ。民藝は普通の日常に使いやすいようにと慮って作られて、優しく美しい姿になる」と深澤さん。例えば、お気に入りという島根・出雲の大津焼の火鉢は、沖に出る釣り人が抱きかかえるようにして体を温めるため、ころんと丸い。「用にかなって作った結果、それが温かい形になった」
もう一つ、民藝運動の背景にあったのが、工業化と大量生産品の普及だった。柳らは、民藝の手仕事が隅に追いやられるのではと危惧し、民藝の品が「平凡なもの」として人々の暮らしの中にありふれるほど、生活は美しく健全なのだと説いた。
工業が生む大量生産品は、機能をアップグレードした新製品が出ると、旧バージョンは用無しとなる。かたや民藝の品はひとたび暮らしに溶け込むと、長く使われることが多い。「ブラウン管のテレビを使っている人は今もういないけれど、その頃に作られた茶碗(ちゃわん)は、まだ使われているかもしれない」(深澤さん)。
地方ごとに多様性、自然の理にかなう工程で
健全な民藝の美は、人と生活、自然とがバランスを保って作られてきた。必要とする量だけを、身近にとれる材料を使い、土地の環境に適応した方法で。結果、同じ「竹籠」でも地方ごとに理にかなった、多様な形が生まれた。
一方で、高度経済成長期以降、便利な暮らしを支えてきたシステムは環境負荷などの観点から見直しが始まっている。
「効率を求め、画一におとしこまれた工業製品のものづくりに頼りすぎると、社会が弱くなるような気がします。民藝がもつ多様性や、地球に負担の少ないものづくりに、若い人が惹(ひ)きつけられていると感じます」(古屋さん)。例えば「登り窯で薪(まき)を焚(た)き、灰を釉薬(ゆうやく)に使う」という手法は「地球への負担が少なくて済む」とされているという。
技術が発達し、ものも情報も、本物と偽物の見分けが難しくなった。似たようなもの、偽のものがありふれる一方で、民藝はもはや平凡ではなく、むしろスペシャルで貴重になりつつある。
「そんな時代だからこそ、本質や本物の価値がより見直されていく」と深澤さん。愛着を呼び、使い続けたくなる民藝の品は、今もっともサステナブル(持続可能)なものの一つなのかもしれない。