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12歳の少年が見た昭和24年 片足失ったシベリア帰りのおじさんとアプレゲールの東大生 プレイバック「昭和100年」

産経ニュース 2024年11月3日 8時50分

<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。>

父の一番下の弟、僕にとってはおじにあたる人がシベリアから帰ってきた。僕が物心ついた時はすでに戦地へ行っていて親戚なのに初めて会う人だった。片足がなかった。敗戦直後に満州からソ連兵に連れていかれて4年間ずっと捕虜として働かされていた。シベリアは吐く息がそのまま凍るほどの寒さで、「鼻毛まで凍ったよ」と笑っていた。

そんな目にあったのに明るい人だと思ったが、父によれば昔の面影はすっかりなくなり、時々訳のわからないことを言うので実家の祖母も困っているらしい。足はあまりの寒さで凍傷という病気になって切らなければ治らなかったそうだ。

父は内地で終戦を迎えたが、周りでは外地から復員の遅れた人も多かった。戦死したと思われた人が帰ってきたこともあったし、その逆もあった。それでも去年の暮れまでには9割以上が復員や引き揚げを終えた。

戦死した人や空襲で亡くなった人の命は戻らないが、多くの日本人が昔のように家族一緒に暮らせるようになったのは喜んでもいいことだと思う。ただ、シベリアだけは今も何人が残っているのか、はっきりとわからないらしい。

日本は少しずつ元に戻りつつあるのに、不気味な事件が続けてあった。下山事件、三鷹事件、松川事件だ。下山事件は6月に設立されたばかりの国鉄の偉い人が突然いなくなり、列車にひかれて亡くなっていた。他の事件も国鉄に関係していて、列車が暴走したり脱線したりして大勢の死者が出た。父は「アカのしわざだ」と言っていて、実際に何人かが逮捕されたけど謎が多い事件のようだ。

敗戦国である日本国民にとってうれしいニュースも2つあった。「フジヤマのトビウオ」こと水泳の古橋広之進さんが全米水上選手権に招待され、自由形で世界新記録を連発したのだ。日本人が参加できなかった去年のロンドンオリンピックでも出なかった記録で、もし古橋さんが出場していたらと思うとくやしい。

もう1つは湯川秀樹さんの日本人初のノーベル賞受賞だ。昔からすごい研究者だったようだけど戦前や戦中はなかなか評価されなかったらしい。古橋さんもそうだけど、戦勝国の人たちも少しずつ日本人を公平に評価してくれているような気がする。

9月にはインドの首相から上野動物園にメスのゾウ「インディラ」が贈られた。戦時中は脱走の恐れがあって多くの動物園で珍しい動物が殺され、上野動物園もほとんど空き家になっていた。上野周辺の子供たちが署名を集めて実現したようだ。僕も一度もゾウを見たことがないので連れて行ってもらいたいが、今は家族連れなどですごい人出だそうだ。

日本は元通りになってきたのだろうか。それとも戦前とは違う日本になっているのだろうか。先日は「光クラブ」という金融業者の事件があった。

「必ず儲(もう)かる」と言って大勢の人からお金を集めて高く貸したりしていたようだが、その会社の社長がまだ20代の東大生だったことにみんなが驚いた。若者が戦前にはなかったような行動をとることを「アプレゲール」「アプレ犯罪」とか言うようだ。

シベリア帰りのおじさんは、足がないので働き口もないという。東大生社長とあまり年も変わらないのに何だか不公平だと思った。ただ、その東大生も学徒として終戦を迎え、事件後に毒を飲んで自殺したと聞いて、なおさらやり切れない気持ちになった。

※終戦直後、ソ連に占領された満州や朝鮮半島北部などからシベリアに抑留された日本人は約60万人にのぼり、収容所(ラーゲリ)で過酷な労働と生活環境を強いられた。5万人以上が現地で死亡、引き揚げの完了は昭和31年の日ソ共同宣言後までかかった。

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