Infoseek 楽天

見届けたいウクライナ解放 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<30>

産経ニュース 2024年7月31日 10時0分

《今年で報道カメラマンになって40年。振り返って思うことは―》

写真週刊誌時代も含め、後悔はしていません。張り込みばかりの仕事を「青春の浪費」という同業者もいます。名言ですよね。若い人じゃないと勤まらないですから。しかし、張り込み方法も日進月歩で、私の今の精神力と技術では若い人のようにはできません。

一方、昔は許された取材手法でも、今はできなくなったことがたくさんあります。そういう意味で、昔のやり方を経験できてよかったとも思います。ただ、芸能人本人ではなく、その家族を撮るような依頼が今きても受けませんが。

《これまでのベストショットは…》

誇らしい作品はありますが、一番というのは…。戦争や災害の写真に優劣をつけるのに抵抗もあります。ただ、写真の善しあしはあるわけで、そこは意識せざるをえません。そういう意味で満足いくものは、まだありません。生きているうちに撮れるかも分かりません。残り時間は少なくなってきましたが。

《フリーになってからは世界中の紛争地などを取材。全力疾走する中で還暦を迎えた》

2019年に取材した香港の民主化デモが、最後の〝紛争地取材〟だったと考えていました。あのときは、最後は実弾も飛び交い実質、内戦状態でしたから。略奪はありませんでしたが、群衆が商店を襲ったことはありました。香港の取材を終えたとき、身の安全を確保するのが難しい現場は「もう十分」と考えていました。

年を取って体力が落ちても仕事を続けたら周りは迷惑です。生死がかかるような現場に、フットワークの鈍い年寄りがいたら、周囲の報道関係者も危険にさらします。また、がむしゃらに紛争地などの取材を続けるうちに、「世の中のすさまじい部分を見過ぎた」と考えるようにもなりました。撮ってきたのが「悲しみや怒り」ばかりでしたから。

《ベテランだからこそ、伝えられることもある》

いろいろ複雑な思いが交錯する中で起きたのが、ロシアのウクライナ侵攻。間違いなく大変な現場で、取材に出るか迷いました。そんなとき、何度も過酷な現場を共にした通信社のカメラマンから「行かないの?」と声がかかりました。その言葉に背中を押され、腹を決めました。もちろん、過去の取材経験から、土地勘がある、ロシア語が通じる―ことなどを考慮した上で判断しました。

ウクライナには一昨年3月から4回取材に出向き、計4カ月ほど滞在。内務省などに知り合いもでき「できること、できないこと」の予想もつくようになりました。最近は前線ばかり目指す無理はしなくなりました。紛争地で最前線の取材を真っ先に考えるのが報道カメラマン。でも、これまでの経験を生かせば、少し引いた視点の写真でも十分問題の本質はとらえられます。

《最近、体調を崩し弱気になっているが、かなえたい希望がある》

今は何としても、ウクライナ侵攻の最後を見届けたいです。ウクライナの人たちがロシアによる「いわれなき受難」から解放される瞬間を撮りたい。一昨年8月に出した拙著「ウクライナ戦記 不肖・宮嶋 最後の戦場」では「ウクライナに負けはない」と書きました。歴史は残酷で正義が必ず勝つとは限りませんが、第二次世界大戦のパリ解放のような「あふれる喜び」が撮れる機会が来ると信じています。それを自分にとっての「最後の戦場」にしたいと願っています。(聞き手 芹沢伸生)=明日からモラロジー道徳教育財団顧問、金美齢さん

この記事の関連ニュース