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万博は日本人の潜在的エネルギーのすさまじさを見せつけた 昭和45年「サンケイ抄」 プレイバック「昭和100年」

産経ニュース 2024年10月27日 8時50分

さめやらぬ興奮と心身の疲れ、はなやかさのあとにくるいい知れぬむなしさ、そして、やれやれ終わったという安堵感―祭りのあとにだれもが体験する、そんな感じを残して「人類の進歩と調和」をうたった万国博が終わった。

▼公式的にいえば、万国博は「それぞれの時代において、人類が到達し得た文化の粋を一堂に集め、将来の人類進歩の方向を示そうとするもの」ということになる。が、大多数の日本人にとって、そうしたむずかしい理念はさておき、万国博はドエライお祭りだったといえるのではないだろうか。

▼かつて人々が鎮守さまの境内に陸続と集まったように、全国各地から善男善女が万国博会場へつめかけた。延べ人員にしても、六千万を越す人が入れかわり立ちかわり、一つ場所へ足を運んだというのは、絶えてないことである。そして、押し合いへし合い〝バンパク〟というものを見物したのだ。

▼「なにを見てきたかなんて聞かれたってムリだよ。オレは〝バンパク〟を見てきたんだから」という声を耳にしたことがあるが、これが平均的な感覚だったかもしれぬ。開門と同時にバッファロー・ダッシュ。あとは指示通り、ヒツジの群れのように何時間も黙々と並んで、パビリオン入りを待つ。

▼「人類の辛抱と長蛇」「残酷博」といわれようと、けっしてひるまない。忍びがたきを忍び、ただひたすらに目的に向かって、じりじりと進む。見方によっては、現代の管理社会の縮図といえなくもないが、これほど日本人の潜在的エネルギーのすさまじさを見せつけられたことはない。

▼「万国博の最大の見せものは観客それ自身だ」とさえいわれたが、そうした日本人の姿にそら恐ろしさを感じた人もあっただろう。この先、あのエネルギーをなにに向かって噴出させるか。ここは思案のしどころだ。もっていき方を一つ間違えると、とんでもないことになってしまうからである。

(昭和45年9月14日)

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