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奈良街道沿いの町で栄えた旧遊郭の建物、行政代執行で解体へ 「浪花節芸妓」の名残り

産経ニュース 2024年10月12日 13時48分

奈良県大和郡山市東岡町に残る旧遊郭の建物が15日、市の行政代執行で解体が始まる。奈良と大阪を結ぶ奈良街道沿いに位置する同町は、明治から昭和にかけて奈良四遊郭の一つとして栄えたが、違法な売春行為の横行などで衰退。町のシンボル的存在だった建物は荒廃し、倒壊の危険性があると指摘されていた。かつての栄華を伝える建物が、ひっそりと姿を消す。

住宅地の一角に残るその建物は、異様な雰囲気を漂わせていた。窓ガラスが割れ、崩れ落ちかけた壁にはツタがそこかしこに繁殖。バラを描いた窓のステンドグラスや肘掛け欄干のみが、かつての栄華を想起させる。

大正末期に建てられたとみられ、木造瓦ぶきの3階建て延べ床面積約420平方メートル。妓楼として使われていたものの、近年は空き家となり劣化が進んでいた。

危険を感じた地元自治会から相談を受けた市が立ち入り調査を行い、平成28年に倒壊の恐れがある特定空き家に認定。所有者に適切に管理するよう再三指導したが改善がみられず、行政代執行に踏み切った。

「芸事を支えた茶屋や提灯(ちょうちん)屋なども宅地となり、東岡町は時代の流れにのみ込まれてしまった」。市内の歴史的な町並みを案内する市観光ボランティアガイドクラブの加藤豊二会長(78)は、寂しげに話す。

明治政府に公認された遊郭の一つだった同町は、芸を売る芸妓街として栄華を極めた。奈良の近代遊郭史を研究する西山真由美さん(51)によると、明治後期には、同町から浪花節を披露するグループ「浪花節芸妓」が誕生。大衆演芸として庶民に広く愛され、芸妓たちは東京の寄席に興行に赴いたり、酒のポスターモデルを務めたりしたという。

一方で、闇の歴史もある。昭和32年の売春防止法施行以降も違法な売春行為が横行。平成元年にフィリピン人女性らへの売春強要事件の一斉摘発を受け、遊郭として終焉(しゅうえん)を迎えた。その後、建物は荒れ放題となっていく。西山さんは「荒廃の背景には、一部のユーチューバーやブロガーらがガラスなどを割って不法侵入したこともある」と指摘する。

建物はかつて町のシンボルでもあった。地元で育った近くの郡山八幡神社の上本博之宮司(56)は「当時は3階建ての遊郭が立ち並び独特の雰囲気を醸し出していた」と振り返り、「宅地化で若い世代が増えて町の活性化につながっているのは喜ばしいが、趣のある建物が壊されていくのは寂しい」と惜しむ。

市は解体工事を年内に終える予定だ。

全国で相次ぐ撤去

明と暗の歴史をもつ遊郭。その複雑ななりたちの一方で、建造物の文化財的な価値が見いだされ、近年は保存したり改装して活用したりする動きもある。

大正時代に造られた名古屋市の中村遊郭は解体工事が進み、現在は当時の建物が数軒残る。京都最大の遊郭だった五条楽園(京都市下京区)の旧三友楼は令和3年に解体された。

西山真由美さんは「全国の多くの遊郭は役割を終えるとともに撤去され、宅地に変わるところも多い。遊郭は貧しさという負の遺産のイメージも強く、子孫が遺産として継承すると売ってしまうことが多い」と話す。

一方で、京都府八幡市の橋本遊郭にあった2軒の妓楼は、クラウドファンディングなどでリノベーションの資金を集めて旅館やカフェに改装。江戸時代に栄えた広島県呉市の瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の港町・御手洗は平成6年に、遊郭建築を含む町並みそのものが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、映画やドラマなどの舞台として活用されている。

西山さんは「最近では、地域の歴史として残したいという人も現れている」と話している。(木村郁子)

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