大ムカデ退治や平将門の追討などで知られる平安時代中期の武将、藤原秀郷(ひでさと)を祭る栃木県佐野市の唐沢山神社の宮司に就任した佐野由希子さん。神社本庁が包括する格式ある神社「別表神社」では県内で初の女性宮司。「地域に親しんでもらい、女性にも来てもらえる神社にしたい」。女性宮司ならではの発想で、神社のイメージアップや魅力発信に取り組んでいる。
◇
重い荷物を背負った
《関東の名城、唐沢山城の本丸跡地にあるのが、唐沢山神社。佐野さんの家は藤原秀郷の子孫とされ、唐沢山神社は明治16(1883)年に佐野家ゆかりの人々が創建した》
秀郷の子孫として私で48代目。唐沢山神社の宮司としては20代目になるそうです。一人娘で、小さい頃はよく周囲から「跡継ぎさんは大変ね」と言われ、重たい荷物を背負ってしまったという思いがありました。
しかし、先代の宮司だった父(故正行さん)は娘にはなるべく好きなことをさせ、いろんな世界を見せてあげようという人でした。祖父が亡くなったのは父が高校生のとき。父自身が好きなことをできなかったので「娘には…」との思いが強かったのだと思います。父には、「神職の資格さえ取れば、好きなことをしていい」と言われていました。進学したのはミッション系の大学で、別の大学にも通い、約束していた神職の資格を取りました。
憧れのアナウンサー
小さい頃から憧れていたアナウンサーになりたくて大学を卒業後は富山市にある「富山テレビ放送」に就職しました。大学時代に父にアナウンサーになりたいと相談したら「なれるものならどうぞ」と。「実家にもどってこい」とは一言もいいませんでした。父が富山に来てまちを一緒に歩いていたらアナウンサーになって少しは顔を覚えていただいたのか、まちにいた人たちが私に気づいてくれ、そのときのうれしそうな父の顔が今も思い出されます。その後、フリーになって計約10年間、アナウンサーを続けました。
佐野に戻ってきたのは40代の前半でした。父も年を取りサポートしなくてはならないと…。神社のことはいつも頭の片隅にはありましたが、父のことを思い決断しました。目には見えない力に引き戻されたような感じです。神社の仕事にはすんなり入れましたが、神社を見ていると格式はあるが堅苦しい感じで、何かを変えないといけないと思いました。イメージとか…。できれば、女性に来てもらいたい。人が来ない時期にどう人を呼び込むか、などいろいろ考えました。
感謝の気持ち忘れず
まずはみんなが来て写真を撮りたいような風景を作りたいと。6月は手水に花を浮かべ、7月から8月は涼を感じてもらおうと社務所前に地元の天明鋳物でつくった、たくさんの風鈴を飾りました。また、御朱印も増やし、インスタ映えするようカラフルに。今思うと父を喜ばせたいという気持ちもあったと思います。
そんな父も今年3月に他界し、跡を継いで宮司になりました。任命されるまでは女性だから、年齢や経験が足りないと、周囲が心配していましたが、正式に決まると、みんなが喜んでくれ、本当にうれしかったです。ただ、一気に責任が重くなり、大丈夫かなと不安もありました。
唐沢山神社はお城の中の神社。難攻不落の城で落ちないことにかけ、勝利の神様として商売や合格祈願などで親しんでいただいています。これまで神社を支えてくださった方々に恥ずかしくないように感謝の気持ちを忘れず背中を正し、多くの方々が誇りに思ってくれる神社となるよう頑張っていきたいと思います。
(聞き手 伊沢利幸)
◇
さの・ゆきこ 昭和48年、栃木県佐野市出身。青山学院大を卒業後、神職の資格を取得するとともに、富山テレビ放送に入社し、アナウンサーとして活躍。退社後はフリーのアナウンサーを続けたが、約10年前に佐野市に戻り、唐沢山神社の禰宜(ねぎ)となり宮司だった父親を補佐した。今年7月に宮司に任命された。