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旗揚げ解散→再結成 伊東四朗一座始動 お分かりでしょうが出演ないときは「熱海五郎」で 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<22>

産経ニュース 2025年1月23日 10時0分

《仕事は忙しいが「コメディーをやりたい」「コントをやりたい」という希望はなかなか満たされなかった》

僕がテレビに出られるようになったのは、ザ・ドリフターズの「8時だョ!全員集合」(TBS系、土曜午後8時)が、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系、同)に視聴率で抜かれたころです。

《「8時だョ―」は、大ホールのステージ上に組み立てた大掛かりなセットを使って、ドリフのメンバーがコントを繰り広げた。何日もかけてリハーサルを行い、生放送されていた。「オレたち―」は、ビートたけし氏や明石家さんま氏らがアドリブやときにはハプニングも笑いにしながら、スタジオ収録でコントを行った》

テレビを見ている人は、作り込んだ笑いより、舞台裏を見せるアドリブ的な笑いのほうを求めているのだということが視聴率で証明されてしまいました。

一方、昔(テレビで)見た「雲の上団五郎一座」の芝居で、八波むと志さんと三木のり平さんが繰り広げる「与話情浮名横櫛」の源氏店(玄冶店)のシーンがありました。大笑いして、これはほとんど即興だと思っていたんですけれど、後から菊田一夫さんの脚本があったというのを聞いて、ショックを受けたことがありました。

《作り込んだ笑いをしたいという希望は、思わぬ形で実現した。「いい加減にします!」(日本テレビ系、昭和59~60年)で共演した伊東四朗氏から「舞台をやらないか」と声がかかったのだ。平成9年、2人で組んだコントライブ「いい加減にしてみました」がスペース・ゼロ(東京都渋谷区)で行われた》

伊東さんの呼びかけはうれしかったですよ。演じる芸で笑わせる喜劇を残していかなければならないと思っていましたから。

《「いい加減に―」は5年後、小倉久寛氏を加え、第2弾が上演された》

やがて、伊東さんの喜劇を次の世代に残したいと思い、喜劇を上演する「伊東四朗一座」を立ち上げるんですが、伊東さんは「座長の器ではない」と承諾してくれないんです。

そこで、「旗揚げ解散公演でどうですか」と振ってみたところ、「一回だけなら」と了解してくれました。

《16年、「喜劇 熱海迷宮事件」が東京・下北沢の本多劇場で上演された。これが好評だったことから、翌年には急遽(きゅうきょ)再結成公演「喜劇 芸人誕生物語」が東京・池袋のサンシャイン劇場で行われた。その後、伊東氏が出演できないときは「熱海五郎一座」として、毎年のように興行している。26年からは東京・新橋演舞場で毎年のように公演があり、今年も6月に予定されている》

伊東四朗一座を作ったときは笑いを中心とした現代の軽演劇にしようと思ったのですが、歌やダンス、アクションも入れたくなって、結果的にスーパー・エキセントリック・シアター(SET)と同じミュージカル・アクション・コメディーになってしまいました。

そこでSETでは社会的テーマのあるストーリーで、伊東四朗一座は笑いをテーマにしたストーリーのミュージカル・アクション・コメディーにしました。

ちなみに、お分かりだと思いますが「熱海五郎」は東京から行くと、伊東(温泉、静岡県)の手前が熱海(同)、四朗の下なので五郎というダジャレです。(聞き手 慶田久幸)

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