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「原爆の悲劇に国境はない。広島に来て知って」夫婦で平和訴えてきた被爆者、森佳代子さん

産経ニュース 2024年10月12日 8時0分

ノルウェーのノーベル賞委員会が11日、2024年のノーベル平和賞を日本全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協、東京)に授与すると発表した。平成28年5月、現職のアメリカ大統領として初めて被爆地、広島を訪れたオバマ元米大統領と抱擁した歴史研究家で被爆者の森重昭さん(87)=広島市西区=の活動を支える妻、佳代子さん(82)は「今回の受賞決定によって、平和の大切さを世界に知ってもらえる意味は大きい」と語り、多くの人に広島を訪れて原爆について知ってほしいと訴えた。

「署名運動や被爆証言などを組織として行ってきた被団協さんと、一介の被爆者として重昭のやってきた調査とは、同じ被爆者でも立ち位置が違う」と佳代子さん。ただ、連日のように報道される戦争・紛争のニュースにやりきれない思いを抱えており、「原爆による被害を全世界に知ってもらうためにも、今回の受賞決定には大きな意味がある」と強調した。

8歳で被爆した重昭さんは、広島で被爆死した米兵捕虜や、長崎での連合国の兵士について長年にわたり調査してきた。当時、米国は被爆米兵の存在を認めておらず、遺族にも詳細は知らされていなかった。重昭さんは会社勤めの合間に独自調査を開始。地道に日米の史料を突き合わせ、証言をコツコツ集めながら遺族を探し、犠牲になった捕虜12人を特定。それぞれの遺族に最後の状況を知らせた。オバマ元大統領は平成28年、平和記念公園でそんな重昭さんをたたえるスピーチを行い、重昭さんを抱擁したのだった。

重昭さんの調査を長年支えてきた佳代子さんも被爆者だ。3歳のときに爆心地から約4・1キロ離れた自宅で被爆。佳代子さんの父で、国民学校の教官だった増村明一さんも被爆した。

明一さんはその後、広島市議になり、被爆者援護に尽力。医療給付の対象拡大などのために何度も上京し、陳情を繰り返した人物だった。佳代子さんも重昭さんや明一さんと同じく、平和への思いは強い。

重昭さんとの活動は「人間としての思いでやってきたこと」と語る佳代子さん。「今、核保有国がまかり間違って原爆を使うと、広島と長崎の悲劇どころではない。原爆の悲劇に国境はない。そうしたことを知ってもらうためにも世界中の人に広島、長崎に来てもらい、原爆の実相を知ってほしい」と話した。(嶋田知加子)

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