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夫婦同居でも、若年層でも起きる「孤独死」 阪神大震災、仮設住宅発の問題が問うたもの

産経ニュース 2025年1月13日 7時0分

平成7年の阪神大震災からの復興過程における「予期せぬ災害死」として、当初は驚きをもって受けとめられたのが、仮設住宅で続発した孤独死だった。震災から間もなく30年、神戸の街は変貌を遂げたが、孤独死からの復興は果たされたのか。その経過をたどる。

探った背景事情

「おかしなことが起きているな、と思いました。医者の常識が通用しなかった」

神戸市西区の住宅街に内科・小児科クリニックを構える医師の伊佐秀夫(73)は震災当時の仮設住宅での診療経験をこう回想した。

孤独死-。地元紙の神戸新聞が、仮設住宅の60代男性の死亡を伝える短い記事にその見出しを取ったのは、同年4月のこと。以後、同様の事例報告が各地で相次いだ。

伊佐が診療を担当していたのは、同区の西神第1と第7仮設住宅で1500戸を超えるプレハブが並んでいた。診療所開設から1カ月ほどたった同9月、50代と60代の男性の孤独死が確認された。死後相当な日数が経過していた。

いずれも伊佐の診療所から数十メートルの部屋に住み、それでいて診察には来たことがなかった。まだ体の自由がきく年齢で、命の危険があるのに医者にかからない。そこにどんな理由があったのか。伊佐はその後も各地で打ち続いた孤独死の背景事情を探った。

死者には共通点があった。持病があること、経済的困窮、アルコール依存。仮設では支援物資の酒が容易に手に入った。その果てに、病死や食物・吐物の誤嚥(ごえん)、入浴中の発作、転倒、あるいは自殺があった。

持たざる者たち

死因はさまざまだが、孤独死の前には必ず「孤独な生」があると言われる。震災で家や家族、職を失った人たちがいた。それ以前から持たざる者は、被災によりさらに持たざる状況に追い詰められた。

伊佐はそれから、住民らと孤独死をテーマにした講習会を開き、情報を共有。条件に当てはまる被災者を注意深く観察して声をかけ、必要であれば入院につなげることが診療所の主な仕事の一つになった。

「以前から社会で起きていた問題が、阪神大震災の仮設であぶり出された。その後の復興住宅でも同じことが起きると思った」

伊佐は後に開設したクリニックを「希望」と名付けた。「被災した住民の将来を探り続ける場に」。そんな思いが込められた仮設の診療所当時の名称を引き継いだ。

「過密」避難所と対極 仮設住宅の「孤立」

孤独死に確たる定義はない。伊佐とともに、阪神大震災後の仮設住宅で診療に尽力した額田勲(故人)は著書の中で「低所得で、慢性疾患に罹病していて、完全に社会的に孤立した人間が、劣悪な住居もしくは周辺領域で、病死および、自死に至る時」(『孤独死 被災地神戸で考える人間の復興』、岩波書店)とした。

兵庫県警が仮設住宅と災害復興公営住宅で認知した「独居死」の数字を拾えば、統計がある令和5年までに1664人に上る。

追手門学院大教授の田中正人(55)は、同県監察医務室が作成する「死体検案書」や県警の「死体発見報告書」を基に、独居死の背景を詳細に調べた。「避難所の問題が『過密』にあるとすれば、仮設住宅の問題はその対極の『孤立』にあった」と話す。

平成12年1月に全面解消されるまで仮設住宅の入居者数は年を追うごとに減ったが、田中らの調査によれば、孤独死の発生率は7年の0・099%(千人当たりおよそ1人)から、11年までには0・652%(同6・5人)まで増加していた。仮設を離脱できず、取り残された被災者の孤立の深さが読み取れるという。

また遺体発見までの日数は、仮設では1日以内が6割を占めたが、復興住宅では3割台にとどまり、若年層ほど発見の遅れが目立った。田中は「孤独死は高齢者問題と考えられがちであるが、社会的孤立の深刻さはむしろ非高齢層にはっきりと表れている」と指摘している(『減災・復興政策と社会的不平等』、日本経済評論社)。

神戸市灘区の復興住宅付近に住む女性は、震災から25年がたった令和2年ごろ、近所の80代男性が自宅で亡くなっていたことに衝撃を受けた。

男性は認知症の妻を介護していたが、周囲に一切助けを求めなかった。男性宅からの異臭やゴキブリの大量発生に女性らが気づき、男性が屋内で死亡していることが判明。ごみ屋敷同然だった部屋の中で、妻がどう過ごしていたのかは分からない。

「奥さんに『寂しくなりますね』と声をかけたが、夫が亡くなったことも理解できていないようだった」

独居世帯ではない。だが夫婦で暮らしていても孤独死は起きる-。女性はそう痛感させられた。(敬称略)

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