無名の職人たちが手仕事で作り上げてきた生活の道具、民藝。「民衆的工芸」を指すこの言葉が生まれてから、今年で100年となる。それよりずっと以前から日本人の生活を支えてきた手仕事の器は、料理研究家、土井善晴さん(67)の暮らしにも欠かせないという。
手仕事のぬくもりをたたえて
「今日は帰り道で間引き大根を買ってきました。ジャコと炒りつけて食べようかと思ってるんです」
ある日の夕方、土井さんを訪ねると、晩ご飯のおかずを出してきた。
昼に余した鰯(いわし)を生姜(しょうが)と煮た「鰯の生姜煮」に、刻んだ大根の葉とチリメンジャコを油で炒めた「大根葉とジャコの炒めもの」の2品。
「民藝も匿名が基本ですが、和食のおかずにも名前はない。あえて、素材と調理法であらわしただけで」とつぶやきながら、器を見繕った。
食器棚に並ぶのは、手仕事のぬくもりのある器の数々。「どれもこれも、普段使っている」という。
石川の山中漆器、大分の小鹿田(おんた)焼といった名の知れたものもあれば、宮城の陣ケ森焼のように知る人ぞ知る窯を訪ねて求めたものも。なかには「陶芸家が自宅で使っていた器が気に入り、無理を言って1つだけ譲り受けた」というものまである。いずれも、民藝。黙々と土に向き合う職人の手による、美しさや出来栄えを競わない素直な仕事。使いやすい「用の美」を極めた実用品だ。
名の通った窯で焼かれたから、人気作家の作だから、と選んだわけではない。日々の暮らしの中で気負わず自由に使われている民藝の器は、「あたりまえのおかず」にあつらえたようによく似合っていた。
暮らしの中にある美しさ
「私ね、家庭料理は民藝やって、わかったんです」と、土井さんは語り始めた。若い頃は、有名料亭で修業し、美しさを求めて料理することが仕事だった。飾り気がなく素朴な民藝とは「正反対の世界だった」(土井さん)。プロの料理人の仕事と比べて、家庭料理を下に見るような心持ちになったこともあった。
ところが、30歳にさしかかる頃、民藝運動の先駆者でもある陶芸家、河井寛次郎の記念館(京都市)を訪ね、家庭料理に対する見方が覆された。「家庭料理に情熱をかけるものはないと思っていたら、人間の暮らしにはこんなにも美しいもの、民藝があった。人が一生懸命生活するところに、美しいものが生まれる。自分にとっての大発見でした」
土井さんが提唱する「一汁一菜を基本とする家庭料理」を盛るのは、形に手仕事ならではの揺らぎのある白地の飯碗と、艶を消した漆塗りの汁椀。それと、派手な主張などない土色の皿…。いずれも長年使い込まれており、どんな料理にでも自在に合う「用の美」をたたえていた。
「なんてことない器なんですけど、素朴というか健康的で自然なものです。必要以上に用途を絞っていないので、役に立つ。何の権威もないけれど、よく働く器です。こういった器で一日一度、料理を一汁一菜に整えると、食べる姿が変わるでしょ」
競争も美醜の区別もなく
季節や自然と人間の交点にあるのが料理。作って食べる営みに、器や調理用具は欠かせない。そうした道具は、日々人に愛用され、一層の美しさが宿っていく-。民藝という言葉の根底には、こういった思想が流れている。
「民藝と家庭料理には共通点があるというか、同じものだと思っています。民藝は無署名で自己主張がない、競争がない、美醜の区別がない。それは家庭料理も同じ。素材をただ食べられるようにすればよくて、名前はないし、おいしいとまずいの区別もないんです」。家庭料理も民藝だ。
民藝
みんげい 「民衆的工芸」を指す造語で、大正14(1925)年、思想家の柳宗悦が、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎とともに名付けた。職人の手仕事が生む暮らしに必要な道具には、自由で健康な美しさがあるとして、その価値を広く紹介するために考案された。無名の職人が代々、各地で自然の恵みを用いながら作ってきたもので、実用性があり、たくさん作られ安価に手に入る陶器や木工など。
土井善晴
どい・よしはる 昭和32年大阪府生まれ。スイス、フランスでフランス料理を、大阪で日本料理を修行。平成28年に著した『一汁一菜でよいという提案』がベストセラーに。1月17日から、日本民藝協会の講座「料理から民藝を考える」(全6回)の講師を務める。