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空襲の跡残る、明石で育った幼少期 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<3>

産経ニュース 2024年7月3日 10時0分

«昭和36年、兵庫県明石市で生まれる。高度経済成長期の真っただ中だった幼少期、故郷にはまだ戦後が残っていた»

小さいころ、近所にはまだ空襲の形跡が残っていて、探検や秘密基地を作ったりして遊んでいました。友達と工場の跡地で実弾を見つけ、警察が来て大騒ぎになったことも。小学校に上がる前で細かい記憶はないんですけど、普通のライフル弾、(口径)7・6ミリぐらいだったかな? それとも拳銃弾だったのかなあ。

箱か何かに入っていて、最初は実弾とは知らず、真鍮(しんちゅう)の色をしていて、単に「きれいだなあ」って感じました。いっぱい出てきたその丸い物を、僕らは自転車のハンドルに飾って遊んでいたらしいのです。それに近所のおばちゃんが気づき、驚いて110番通報、そしたらパトカーがやってきて…。おばちゃんがびっくりしていたことだけは、鮮明に覚えています。

子供のころの他の思い出といえば、1964(昭和39)年の東京オリンピック。3歳のときですが、かすかな記憶があります。保育園の保母さんに手を引っ張られ、国道2号で聖火リレーを見ました。当時の明石は本当に田舎で、田んぼとあぜ道、ため池ばかりで、その脇を歩いて国道まで行き、みんなで日の丸を振りました。

«小学生になると〝野球少年〟に。関西在住となると、あの人気球団のファンだったと思いきや…»

小学校では2年生から5年生くらいまで、ソフトボールをやっていました。ポジションはレフトで、打順は7番から9番の間。でも卒業まではやっていません。6年生になったときに私立中学を受験することになり、塾に通っていたので。

プロ野球にも興味がありました。好きな球団は巨人、テレビの影響ですかね。昔、巨人は明石公園野球場でキャンプをしていたんです。プロレスラーのジャイアント馬場さんがピッチャーをやっていたころで、馬場さんはキャンプが縁で明石の女性と結婚しています。巨人がキャンプをしていたのも、ファンになった一因かもしれません。父は阪神ファンでしたが…。

その次にファンになったのが中日。巨人の後に中日が明石をキャンプ地にしたんです。当時、選手にサインをもらうのは駄目だったんですけど、子供ですから悪気もなくメモ帳を渡すと結構もらえました。星野仙一さんとか木俣(達彦)さん、島谷(金二)さんとか。だから小学4年生くらいから、ずっと中日ファンでした。

星野さんが中日の監督だったとき、名古屋で取材したことがあります。「東京から来たんだから巨人ファンですよね?」と聞かれたので、「いや、中日ファンです」と言うと驚かれました。「名古屋に来たから言ってるんでしょ」と疑うので、「中日がキャンプしていた明石出身ですから」と打ち明けたら、星野さんは納得していましたね。中日が明石でキャンプをしていたことは、名古屋でも知らない人が多いと思います。それくらい昔の話です。

«父の仕事の影響で、自衛隊は身近な存在だった»

小学生のころは、プロ野球選手とパイロットに憧れていました。当時はみんな同じで、ごく普通の「将来の夢」だったんじゃないですかね。でもしばらくすると、自分に野球の素質はなく、パイロットも近眼で無理―。現実を知りました。

ただ父が川崎重工で働いていた関係で、自衛隊は身近な存在だったんです。何かイベントがあると基地へ行ったりしていました。そういうこともあって、パイロットになることは諦めたものの、飛行機とか戦車に触れ合う機会は、当時から結構ありましたね。(聞き手 芹沢伸生)

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