Infoseek 楽天

ビールが飲めなくなった寮生活 日大の「選ばれし者」の集まり、成績悪いと退寮も 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<13>

産経ニュース 2024年7月13日 10時0分

《入学した日大芸術学部写真学科は学費が高額なうえ、フィルムや印画紙などの写真材料も購入しなければならない。親に経済的な負担をかけられないというプレッシャーの中、アルバイトを続けていたが、2年生になって環境が大きく変わった》

物理的に親の仕送りだけでは、どうしようもない現実がありました。最低限の生活費として渡されていたので、とてもじゃないけどフィルムも買えません。写真をプリントするには印画紙も必要ですから、アルバイトをやらないとどうしようもなかったんです。

でも、大学2年生になると状況が変わりました。入学後は東京・中野区の鷺宮にあるミッション系の寮に入っていましたが、運良く武蔵野市にある〝オール日大〟の寮に入れたんです。同時に、日本育英会(現日本学生支援機構)の奨学金の給付も受けられるようになりました。月額3万円程度で、教員にならない場合は返済義務がある奨学金でしたが、ありがたかったですね。このころから徐々に、経済的にひと息つけるようになりました。

日大の寮は食費と水道代、光熱費込みで、ひと月1万円と格安。さらに、支払い方法は半年に1度、親元に直接請求がいく形でした。半年6万円で済んだので、さすがに親は何もいわずに払ってくれました。これで、仕送りを自由にやりくりできるようになったんです。しかも、寮の地下には暗室がありました。それが一番の魅力でしたね。いくら水道を使っても、お金を払わなくていいんですから。

それでも、写真材料を買うためのアルバイトは必要で、懸命に働きました。そのかいあって、フィルムなどを買っても少しだけ、貯金ができるように。学業も頑張っていて、本当に「写真漬け」の毎日ですよ。自分としては1年生のときの成績がもうひとつだったので、2年生からは割と頑張ったんです。

《格安の寮だったが、決していいことばかりではなかった。好成績が求められるほかに、先輩との付き合いも。宮嶋さんは酒に強く、かなり飲んでも絶対に乱れないが、ビールは飲まない。その理由は大学時代の寮生活にあった》

寮は日大本部の直轄で「武蔵俊英学寮」といいました。クラブなどの寮ではなく、入れるのは日大生の中でも「選ばれし者」。自分は1年生のときの成績で、何とか入ることができたんです。「俊英」って付くくらいですから、周囲は医学部や歯学部などの特待生も多かったです。今はなくなってしまいましたが。

それだけに成績には非常にうるさく、決められた成績を取れなかった場合は退寮になります。だから寮を追い出されない程度に、専門の写真だけでなく一般の講義も頑張りました。実際、1年生から入っていた写真学科の寮友は、成績が落ちたとの理由で退寮しました。だから、みんな試験になるとまじめにやっていましたよ。先輩だろうが誰であろうが、成績が落ちたら「出ていけ」ですから。

寮内の自治もしっかりしていたんですが、耐え難いこともありました。寮のコンパでの飲酒の強要です。どんぶり鉢にビールと日本酒を1対1で入れて、一気飲みをさせられたりしました。当然、気分が悪くなって吐いたことは何度もありました。

これを繰り返すうちに、ビールが嫌いになり、飲めなくなりました。大の男が一生、飲みたくなくなるような飲まされ方を経験したんです。寮で繰り広げられる酒の席に関しては野蛮でしたね。結果、社会に出てから酒の上での失敗はほとんどありませんでした。酒は好きですが、飲むのは焼酎やウイスキー。今でもビールだけは、どんなに勧められても決して口を付けることはありません。(聞き手 芹沢伸生)

この記事の関連ニュース