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きっかけは父親からもらった難解なカメラ 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<5>

産経ニュース 2024年7月5日 10時0分

«小学校低学年のとき、父親から1台のカメラを譲り受けた。操作の難しい名機だが、これが「不肖・宮嶋」の出発点となっていく»

写真を撮り始めたのは小学校2年生くらいです。写真好きだった父が新しいカメラを買ったので、古くなったカメラをもらったのがきっかけです。

そのカメラは(国内生産された)「アイレス35ⅢC」で、子供のころの写真は全部、そのカメラで撮影しました。父は露出が自動でピントは自分で合わせる「コニカC35」を買ったんです。もらった「アイレス35ⅢC」は、絞りとシャッタースピードを手動で合わせるシンプルなカメラで、露出計などは付いていません。

よくもまあ、そんな難解なカメラを小学生に渡したもんですよね。今でも使うのは大変ですよ。でも、もらったときはうれしかった。友達がみんな「すごいな」って言ってくれて。カメラを持っている同級生がいても、当時は(画面サイズが小さいフィルムを使う)ポケットカメラでしたから。でも、自分がもらったのは35ミリフィルムのフルサイズ。大事に使ったので今でもきれいなんですよ。

«カバンから取り出してくれた、その「アイレス35ⅢC」は、美しさも状態のよさも父親から譲り受けて半世紀以上も経過したとは思えないほど。原点となったカメラを、ていねいに使い続けてきたことが伝わってくる»

触れるとしっかりしてますよね。カメラって工業製品の頂点に立つ機械だと思うんです。「カメラを造れる国は車を造れる国より少ない」と言われますよね。反日運動が盛んな国に行って取材をしていても、現地の報道陣のカメラはほぼ日本製ですから。そこは胸を張れます。

技術をパクれない、というのがすごい。今はバイクだってパクられる時代じゃないですか、ホンダの「スーパーカブ」とか。車だって、デザインをパクられたりしている。かつては共産圏で、(ドイツ製のカメラの)ライカのパチモン(偽物)とかがありましたけど、しょせんパチモンで、性能は本家のドイツ製にとてもかないません。

«その「アイレス35ⅢC」で蒸気機関車(SL)を撮影。これをきっかけに、まずは鉄道ファンに»

小学生だったので、撮影するのは身近なものばかり。フィルムが高価で、現像もプリントもお金がかかりましたから。その後はSLです。週に1回くらい、クラスでカメラを持っている同級生と、自転車に乗って撮りに行きました。鉄道に興味があったというより、みんなとワイワイやるのが好きだったんです。あとは(当時の国鉄で電化が進むなどして)SLが全て廃止されると騒がれ始めた時期で、「今、撮らないと」という意識があったのかもしれません。

当時は山陽本線にも月に1回くらいSLが走っていましたね。C62が引っ張る「白鷺号」で、京都駅から姫路駅まで走るんです。この列車を撮影したり、友達と明石から姫路まで乗ったりしました。普通に切符を買えた記憶があります。京都の梅小路(機関車庫)とかにも行きました。さすがに、小学生のときは一人で行かせてもらえませんでしたが。

中学3年生のとき、「京阪100年号」というSLの臨時列車を撮影中の小学生がはねられて亡くなるという悲惨な事故が起きました。自分はこのSLを新大阪駅で撮っていたんですが、そのときSLの運転台で報道カメラマンを目撃しました。目のくらむような(高級な)カメラで「カチャ」「カチャ」と撮っていて。それが初めて見た報道写真の取材現場でした。(聞き手 芹沢伸生)

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