<当時、産経抄は一筆と呼ばれていました>
六・一五統一行動はまたも全学連にかきまわされた。国会一帯は、全学連と警官隊、それに右翼が加わって、全くの乱闘の場と化した。ついに死者まで出すに至って、昨年十一月の国会乱入事件をはるかにこえる未曽有の修羅場となった
▼社会党江田書記長が混乱の制止につとめたというが、もはやそんなことを聞く全学連ではない。社会党や国民会議の多数はストやデモを「整然」と行なう方針をたてた。しかし、統制もきかない全学連などの共産系分子の向う見ずをかかえている限り、せっかくの方針も、かき乱されてしまう
▼全学連はデモが整然と行なわれ、それが社会党系の人たちの支持を得れば得るほど、反発に出て暴力ざたをつのらせる。デモ参加の呼びかけに、一般学生たちのなかには「きょうは荒れるから危ない」と、早くも空気を察して警戒していた者も多かったようだ
▼多数の負傷者や死んだ学生などは、指導者よりも、呼びかけに応じて参加した者がギセイになったようだ。右翼団体がなぐり込みをかけたことがキッカケらしいが、それで全学連がいきり立って国会に乱入する、手薄な警官隊は必死になるというわけで、この大事件になってしまった。左右の暴力の衝突がひきおこした偶発事件にはちがいないが、こんなことではアイク訪日もますます危険感を深めたといわざるを得ない
▼全学連の暴発にはさすがの社会党、総評もお手あげの気味になっていたが、こうなってみると、も一度「一線を画する」決心が必要だろう。全学連につけこむスキを与えたのは、しかしまず政府の責任である。左右をとわず、暴力に対しては厳たる態度が必要だし、国民もこれを支持し協力すべきだ。
(昭和35年6月16日)