Infoseek 楽天

感受性が豊かで、肉が苦手に ニワトリのおなかに軟らかそうな小さなタマゴがいっぱい 話の肖像画 夢グループ創業者・石田重廣<3>

産経ニュース 2024年11月3日 10時0分

《右も左も分からないなか、19歳で上京し、起業した。後押ししたのは物おじしない性格だ》

中学卒業後、プロ野球選手になろうと東北高校の野球部に入りました。甲子園に出るのではなく、甲子園で優勝するための練習をしていましたから。厳しい環境でしたが、つらいとは全然思いませんでしたね。

でも、なんだかよく分からない練習もあったんですよ。それは歩く練習。軍隊のようにみんなでそろって真っすぐに足を上げ、グラウンドをひたすら歩くんです。これはなんだ? 甲子園の開会式での入場行進の練習か?って思った。でも、先輩たちは黙々と歩いている。

監督は東北高校を17回、甲子園に出場させた名将、竹田利秋さん。当時はもうおっかなくて、誰も理由を聞かない。僕は1年生でしたが、「監督、なんでこうやって歩かないといけないんですか」って聞いたんです。すると監督は「いいか。ガニ股で歩いていれば、自然と走るのもガニ股になるだろう」と怒らずに答えてくれた。

そして「ガニ股で走れば一歩一歩が3センチ短くなる。だからガニ股が直れば一歩で3センチずつ、得をするんだ。同じ歩数で走っても、ガニ股でない分、塁間を速く駆け抜けることができるだろう」って。正しい走り方の練習だったんですよ。先輩たちは監督がおっかないんで誰も聞かないから、何の練習か教えてくれなかったんです。僕は何でも聞いちゃうんで、「石田は勇気あるな」と思われていました。

《感受性も豊かで、お肉が苦手。幼少期の体験が原因だが、今でも中国や香港での仕事で困ることがあるという》

うちの父方の実家は農家だったんですが、ニワトリが500羽くらいいて、副業としてタマゴの出荷もやっていたんです。小学1年生のころだったかな、お正月に里帰りして、おじいちゃんといっしょにニワトリ小屋に入って、タマゴを採るわけですよ。で、タマゴを産んだニワトリには棚の入り口に「丸」をつける。それで丸が7つか8つか、連続でつかなくなったら、その棚のニワトリをお肉屋さんに持っていくのね。

ある日、僕が丸をつけなかったニワトリをおじいちゃんがつかんで取り出してきた。で、「お正月用のお肉にする」と、庭先で首をポンとはねた。ニワトリはパタパタパタッて少し歩いてから倒れた。頭がなくてもニワトリは歩きますからね。僕は好奇心の塊でしたから、それをずっと見てたの。おじいちゃんは熱湯か何かにニワトリを入れて毛をむしり、さばき始めた。そしておなかを開いたとき、中に軟らかそうな小さなタマゴがいっぱい入っていたのを見ちゃったんです。

《湧き上がった感情が、その後の食生活に影響を与えることになった》

それを見たとき、あのニワトリは僕が殺したんだと錯覚したんです。もし僕がこのニワトリの棚に丸をつけておけば、さばかれることはなかったんだ、と。おなかにこんなにタマゴが入っていたのに、と思った瞬間にかわいそうになって…。それ以来、鶏肉が食べられなくなりました。

豚肉に関しては、通っていた小学校の正門の近くにお肉屋さんがあって、これも小学校低学年のある朝、ブタが50匹くらい、トラックに乗せられて連れてこられてね。背中に番号が書かれたブタたちがブーブー言ってるわけですよ。かわいかったんで、下校が楽しみだったんだけど、いない。で、お肉屋さんに聞いた。「今朝いたあのブタたち、どこにいるの」「おう、ここにいるぞーっ」と。キーンと冷たい空気と生臭いにおいが漂う冷蔵室に、ブタたちが毛をむかれ、内臓も処理されて全部干されていた。ひでぇ、かわいそうだと思って、それで豚肉も食べなくなったんです。そして牛肉や他の肉も。

中国や香港で仕事をするときは大変です。中華料理って、お肉が中心じゃないですか。僕はいつも海鮮専門なんですよ。(聞き手 大野正利)

この記事の関連ニュース