《友人に受験料を盗まれて大学進学を断念したことを福島の両親に知られたくない。そこで学生ローンで30万円を借り、連絡が取れないように引っ越した。いわば「家出」状態。そしてこのときから、自ら人生を切り開いていくことになる》
まずは池袋のデパートにあった高級中華料理店でアルバイトをすることにしました。賄いでイセエビとか食べられるかなって。僕はお肉が食べられませんので。予備校が池袋だったので、いつかは行ってみたいな、と思っていたお店です。
で、面接に行ったら「君はズーズー弁で、注文を取るにも何を言っているか分からない。皿洗いでもしてくれ」って。けんもほろろの対応です。それでもお金を稼がなければなりません。もう両親に頼らないと決めてましたので。で、皿洗いでお店に通ったのですが、やはり雰囲気は面接のときのまま。イセエビを食べることもなく、時給もよくなかったので、3日目で辞めました。
《苦難は続く》
最初のバイトは自ら辞めましたが、学生ローンの返済や家賃、それに生活費もあって「とにかく稼がなければ」の一念です。で、時給の高いアルバイトを探しました。見つけたのは当時、24時間営業で全国展開を始めた牛丼店のお店番です。日中の時給に比べて、深夜は1200円と割高で魅力的でした。で、僕が勤務先に選んだのが、東京駅近くにある24時間営業の八重洲店です。
勤務は夜11時から朝9時までのお店番で、賄いとして牛丼2食がつく。が、僕はお肉が食べられない。この時間帯のお店番は僕1人で、仕事は眠気との闘いでした。ここには2週間ほど務めたのですが、賄いについて社員とのいさかいがあって、「もう来なくていい」となってしまいました。
《社会の荒波は想像以上だった。別のバイトでも…》
ほかに時給がよかったのが、築地にあったカマボコ店の配達業務でした。こちらも時給1200円で、勤務は早朝5時から正午までと短く、条件がよかったんです。仕事は築地市場内にある契約店へ、カマボコを配ることでした。
初日、先輩といっしょに契約先のお店をざっと回って配達先を教えてもらいました。で、「じゃあ明日から1人で頼む」ってなった。築地市場は広いうえに複雑で、どのお店が配達先か、覚えられないわけですよ。「一回だけじゃ分かりません」って言ったのですが、その先輩は「市場の人に聞けば分かるから大丈夫」って。
翌日から築地市場で働いている人たちにカマボコの配達先がどのお店か、聞いてまわるわけです。昭和50年代の築地市場は活気に満ちていて、誰もが忙しそうに働いている。で、僕が「○○店ってどこですか?」って聞くと、「うるせえな、あんちゃん」「忙しいんだ」「邪魔すんな」となる。「ぶっ殺すぞ」とかね。で、なんとか配り終えてカマボコ店に帰ってみると、「遅い」って叱られるわけです。さらに「ズーズー弁だから通じないんだろ」って。
そんな状況ですので、カマボコ店に帰るのは一向に早くならない。で、4日目に「もう来なくていいから」と。でも僕は納得できません。で、「4日分の給料は支払っていただけるのでしょうか」と尋ねたんです。それが「仕事もろくすっぽできないヤツに給料を払えるわけないだろ」って。これには頭にきましたね。
お金を稼ぐのは大変なんだ、とつくづく思い知らされました。そしてすぐクビになるアルバイトは自分に向いてない、とも。そこで正社員として働く決意を固めたのです。(聞き手 大野正利)