燗酒の沁みいる季節到来である。湖北の静かな住まいに帰ると、朝晩は一段と肌寒く、それがことのほか嬉しい。昨今、めぐり来る季節を正常に感じられることを、この上なくありがたいと思うようになった。
この日すでに夕飯をつまみながら、台所に腰を据えていた。そろそろと、燗酒の支度に取りかかる。これまで買い集めた色とりどりの酒器をひとしきり眺めて、とっくりと盃をひと組選ぶ。朱塗りの盆に、それはさながら、茶道のお作法のように丁寧に飾り付ける。独酌にも、精一杯のおもてなしを怠らない。
棚の奥から、燗酒をつけるための秘密道具を出してきた。両手にすっぽり抱えられるほどの小さな鉄瓶。近所の古民家で、蔵の解体整理をされていて、いらない道具類をどれか持って行って良いよといわれ、もらい受けたもの。我が家に来てから、しばらく台所の隅に眠っていたが、あるとき、これに熱々のお湯を沸かして、燗酒をつけてみたところ、やっと日の目を見たのだった。
湯が沸いたら、火から下ろして蓋を取る。ここに酒を入れたとっくりをゆっくりとつける。すると、ちょうど肩まで沈んだとっくりが、まるで温泉に浸かるような姿でぴったりと収まるのだ。お湯も冷めにくく、ほんのり漂う湯気と鉄瓶から発する熱も相まって、部屋がいっきにぬくもるようで、寒さが一段と深まる頃を見はからい、重宝している。
日本酒は、先日訪ねた酒蔵で買い求めた、滋賀・東近江の銘酒「薄桜」。冷やから燗まで、心置きなく楽しめる純米酒。この日はぐっと冷え込んだので、熱めの燗が良い頃合いのよう。とっくりの首をつまんで、鉄瓶から引きあげる。湯上りさながら盃に注げば、芳しい穀物感が立ちのぼる。ひとくち呑めば、芳醇で柔らかい口あたり。優しく体に沁みわたっていく。小さな蔵で酒造りに勤しむ、和やかな蔵元さんのお人柄が思い浮かぶ。
ちょうど肴に添えたのは、新潟出身の友人からいただいた鮭の酒びたし。カチカチに塩漬けにされた鮭の破片を、小皿に3つ4つ並べて日本酒をふりかける。すると塩味も身もほどよくやわらいで、滋味深く酒に寄り添ってくれる。思いがけず新潟の刺客に出会い、卓上は湯気にほころんでいた。
まつうら・すみれ ルポ&イラストレーター。昭和58年京都生まれ。京都の〝お酒の神様〟をまつる神社で巫女として奉職した経験から日本酒の魅力にはまる。著書に「日本酒ガールの関西ほろ酔い蔵さんぽ」(コトコト刊)。移住先の滋賀と京都を行き来しながら活動している。