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遠のく戦争「遺品」手放し売買する遺族も 閉鎖相次ぐ民間資料館、忍び寄る廃棄の危機 継承の灯ー戦後79年㊤

産経ニュース 2024年8月14日 7時0分

《祖母の遺品を整理していたら、立派なトランクから軍服とコートが出てきました。祖父のものと思いますが、よく分からないので送ります》

戦時中の軍服や装備品などの収集・販売を手掛ける神奈川県茅ケ崎市の「染屋軍装」代表、染屋雅俊さん(59)のもとにある日、こんなメッセージが届いた。送り主は昭和19年のサイパン島陥落時に戦死した人物の孫。数十年にわたって祖母が押し入れに保管していたという。

先の大戦が終結して79年。総務省の人口推計によると、戦後生まれは1億932万人(令和5年10月時点)と総人口の9割に迫る。戦禍を知る語り手の急減に伴い、戦争の記憶や記録の次世代への継承はより一層、重要性を増している。

ただ、戦争遺族らが所有する遺品の管理などについて、国は関与を避ける姿勢が目立つ。「もともと個人の所有物で、個人による管理や保管が原則」(厚生労働省の担当者)との見解だからだ。

「ファンタジーじゃない」

「実家を掃除して出てきたが正直不要」「戦争を連想させるものを手元に置きたくない」。染屋さんによると、遺品を手放す理由はさまざまだ。売却を決断した遺族からは「どこか後ろめたさ」を感じることも多い。

染屋さん自身は、サイパン島で戦死した大叔父の形見代わりに軍服を探した経験をきっかけに、平成21年に事業を始めた。戦争遺品の売買を仲介することで「廃棄を少しでも減らしたい」との思いを抱く。

自身の事業に対し「戦争をネタにした営利主義」といった批判の声もあるが、戦争の生き証人が少なくなる今、「(販売した)遺品を通じ、あの時代に関心を抱いてもらうことが大事だ」と強調する。何より、遺品を手に取れば「戦争はファンタジーじゃない」と気づくことができるのだ。

高齢化進む民間の担い手

個人の手から離れた遺品が、公的な資料館や民間施設で所蔵、展示されるケースも多い。だが、特に民間施設の担い手は高齢化の波が押し寄せ、近年は各地で閉鎖が相次ぐ。当然、所蔵品にも廃棄の危機が忍び寄る。

海軍の特攻隊員だった川野喜一さん=令和3年死去、享年(95)=が、大分市内の自宅を改装して昭和63年に開いた「予科練資料館」。《俺たちの死を決して犬死(いぬじに)にしてもらいたくない》。戦友らが出撃直前に記した直筆の遺書を壁一面に展示し、来館した人の心を揺さぶる。

川野さんの死後、資料館の管理は長男の孝康さん(68)に託された。だが、自らもすでに70歳手前。体力面の不安が尽きない上に後継者も見つからず、14日に看板を下ろし、閉館する。

父の生前、国内外から毎年数百人が来館し、展示品に思いをはせる姿を目の当たりにしてきた。孝康さんは「ここは父が戦友や戦没者のために作った慰霊の場。閉じるのは忍びない」と語る。

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の無線機など全国から寄贈された所蔵品は3千点以上にのぼる。なかなか受け皿が決まらず、特攻隊員らの若くして世を去る悔しさ、家族への思いなどが詰まった遺品が、大量に廃棄される可能性があった。

幸い、所蔵品の大半は地元の大分県護国神社が引き取ってくれることが決まり、孝康さんは「最悪の事態を回避できた」と安堵(あんど)する。とはいえ、全国に散在する戦争遺品のことを思えば、将来のことも気がかりだ。

「今回のように引き受け先が見つからなかったら、どう継承すればいいのか。今後、困る人も出てくるだろう」

(小川恵理子)

300万人もの邦人が命を落とし、多くの国民が死線をさまよった先の大戦。当時を知る世代の多くが故人となり、記憶と記録を伝える遺品もまた、世代交代によって継承の「灯(ともしび)」が消えつつある。終戦から来年で80年。継承のあり方が今、岐路に立っている。

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