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12歳の少年が見た昭和41年 「紫電改のタカ」と戦争体験「祖父はあの時代を語らない」 プレイバック「昭和100年」

産経ニュース 2025年1月26日 8時50分

<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。>

近所の駄菓子屋のおじさんは元海軍の飛行機乗りで、戦時中にゼロ戦で活躍した話を子供たちによくしてくれる。一番すごいのは太平洋上で米軍機3機に囲まれたが、全部撃ち落として帰還したという話だ。学校でも戦記漫画がはやっていて、僕は「紫電改のタカ」や「0戦はやと」などが大好きだ。

定食屋のおじさんも陸軍で大陸にいたが、後方で食事などを作っていたらしく、面白い話は少ない。やはり花形はゼロ戦だろう。ただ、担任の先生は、自分が戦争に行ったわけでもないのに、そういう話が嫌いらしく、「おまえは戦争に賛成なのか」などと言う。別に賛成しているわけじゃないし、漫画の主人公やおじさんたちだって、そんなこと一言も言ってない。

そう言えば、僕のおじいちゃんも南方のどこかの島に行っていたらしいが、詳しい話は聞いたことがない。娘であるお母さんもあまり聞いたことがないらしく、僕にも聞くなというので聞いてない。

今年は6月にザ・ビートルズという英国のバンドが来日して騒ぎになった。学校ではよく知らない子も多かったが、いとこのお姉さんは会場の日本武道館の近くまで行ったらしい。2年前の東京五輪のときにできた武道の聖地を外国人が使うことに批判もあった。僕もあんなに髪を長くしてガチャガチャした歌を歌う人たちはあまり好きではない。

それよりもこの年は飛行機の事故が5件も起きたのが大きなニュースだった。2月に羽田沖に全日空機が墜落して133人が死亡、3月はカナダの旅客機がまた羽田で着陸に失敗して64人が死亡、その翌日に英国の旅客機が富士山上空で乱気流に巻き込まれて墜落、124人が死亡した。

英国の旅客機は前日の事故でコース変更があって、その影響で富士山の上を飛ぶことになったという。さらに8月には訓練中の日本航空機が羽田空港を離陸直後に墜落して5人が死亡、11月には再び全日空機が四国の松山沖に墜落して50人が亡くなった。

旅客機のパイロットには元軍人さんも多いらしいが、旅客機とゼロ戦は全然違うのだろうか。今年から日本人の海外旅行の回数が年に1回から無制限になり、外国に行く人も増えているというが、僕はやっぱり飛行機が怖い。ゼロ戦になんか死んでも乗れないと思う。

ただ、この年は交通事故死者数が年間1万3千人を超えて、日清戦争の戦死者1万7千人に近づいたことから「交通戦争」という言葉も流行語になった。結局、空も陸も安心できない。

やはり羽田だけでは狭いらしく、7月に新空港の建設地が千葉県成田市の三里塚という所に決まった。テレビで見たら田畑があって人も住んでいて、こんな場所に広い空港が本当に造れるのか心配になった。

学校では先日、「戦争の悲惨な話を周りの大人から聞いてきなさい」という宿題があって、「またか」と思った。僕がひねくれているのかもしれないが、なぜ悲惨な話だけなのか。もし僕があの時代に生きていたら、本当に悲惨な経験なんて子供に聞かせたくないと思うし、あらためて思い出したくもないと思う。

駄菓子屋のおじさんの話が誇張されていることぐらい子供だってわかっているし、武勇伝にしないと、きっと悲しい経験を思い出してしまうのだと思う。

それでも先生がうるさいので、勇気を出して僕のおじいちゃんに聞いてみた。おじいちゃんは嫌がる様子もなく、「どこに行ったかも、何をしたのかも、ぜーんぶ忘れてしまったよ」と笑っていた。

※ 昭和40年代には戦争で戦った人たちが普通にいた。総務省の恩給統計によると、当時は125万人前後だったが、平成23年度に10万人、令和元年度に1万人を割った。昨年度末では1千人程度となっている。「戦記漫画」も昭和40年代には「少年マガジン」「少年サンデー」などで人気だったが、市民団体などから「戦争賛美」との声が上がり、急速に減っていった。

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