過剰な「自粛」のおかしさについては前に書いたが、弊風は収まるどころかさらに吹きつのっている。「過ぎたるはなお及ばざ るがごとし」、真の自粛の意味をもう一度考えてみたい。
▼いうまでもなくそれが一切無用であるわけはなく、祈りをこめた行事の中止や、節度ある催しの自粛の例もある。ただのお祭り騒ぎなら、これは初めからないほうがいい。しかし事なかれ主義からくる「右へならえ」の風潮では、まるで本来の趣旨に逆行している。
▼だいたいが学校の行事や商店街の催しで、全面中止を必要とするものなどあるだろうか。なかにはスーパーが呼びこみの声をひそめたり、ホテルのバーのピアノ弾きが仕事を失ったりした事態もあるという。こんな自粛などはわけがわからない。
▼チンドン屋さんへの注文が急減してしまった話も聞く。彼らの仕事は決してお祭り騒ぎでも歌舞音曲でもなく、小なりといえども街のPR事業家である。どちらかといえば下積みの職業に近いが、しかしつつましくも堂々と生活とたたかっている。
▼そういう人びとの仕事やら暮らしがおびやかされている事態を、病気と苦闘しておられる陛下はお喜びになるだろうか。やみくもの自粛が国民生活に影を落としたり、経済活動に支障を及ぼしたりしているとすれば、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」というしかない。
▼これではご病気への逆うらみさえ生まれかねず、すでにそれを利用して天皇攻撃の政治宣伝をする党派も現れている。右から左へ、世間の風潮の振り子はいつも激しく動くものだが、「自粛」の判断は市民一人ひとりの主体的良識でいい。普通の生活の中でご平癒を祈る道はいくらもある。
(昭和63年10月8日)