《芸能事務所「有限会社あずさ2号」の社長として、初の所属歌手「狩人」の再ブレークに成功。背景には当時、極秘とされていた出演料を明記したダイレクトメールの送付やゴミ拾いでの新曲PRなど、業界の常識を打ち破る試みがあった》
事務所は徐々に認知されていきました。で、僕が大好きな「雨」を歌う三善英史さんが所属歌手になってくれたんです。三善さんの加入で、事務所名を「夢グループ」に変えた。狩人はほっとしていましたね。目立つことが苦手な狩人は領収書をもらうとき、「宛名は『有限会社あずさ2号』で」とは言いづらかった、と。平成18年3月に狩人のデビュー30周年公演を東京ドームで開催したのですが、合わせてプロ野球OBチームの試合を主催して2万人のお客さんに来ていただきました。
イベントも好調で、「夢グループ」にはタレントさんが入ってきてくれました。まずはチェリッシュです。次は誰かというと、松方弘樹さん。「社長、チェリッシュがいるのか。じゃあ俺も入るぞ。一緒にシルクを世に出したからな」って。その後は千昌夫さんで、「同じ東北だ。サポートするよ」。小林旭さん、黒沢年雄さん、橋幸夫さんらが所属になってくれました。
《主催する「夢スター歌謡祭」にヒット曲「ボヘミアン」の葛城ユキさんも参加》
葛城さんは酒豪でね。ステージが終わると必ずお酒です。ビールなら毎晩、大瓶20本以上は飲む。いつも明け方までなので、僕はもうクタクタなわけです。地方公演のときは、居酒屋に葛城さんがいないことを確認してから入店していました。でもどんなに飲んでも翌日はいつもの熱いステージです。そのプロ精神には驚きましたね。
その葛城さんに異変が見つかったのが3年前。所属歌手の体調不良が続いたので、みんなに「人間ドックの受診を」と促したんです。ある日、バスで移動中、僕の後ろに座った葛城さんが「社長さま、ちょっと相談が」と。葛城さんは僕のことを「社長さま」って呼ぶんです。で、「検診でがんが見つかりました」と言う。
葛城さんはいつもと変わりません。早期発見と思った僕は「よかったね。早く治そうね」と言ったら、余命3カ月だと。慌ててエックス線写真を別のお医者さんに見てもらったら、今度は余命1カ月…。末期の原発性腹膜がんで、転移しているとのことでした。
《最後のコンサート》
入院する直前、八戸での公演に来てくれたのですが、その夜もビールをガンガン飲んでいました。その後は2度の手術をへて療養です。で、10カ月後ぐらいに電話がかかってきた。か細い声で「社長さま、『退院したらステージに戻ってきて』と約束してくれたけど、私、元気じゃないけどステージで歌いたい」と。車いすで酸素マスクもしている。でも約束です。
葛城さんにステージで歌ってもらいました。もうロック調の「ボヘミアン」は歌えません。歌ったのはしっとりしたバラード、ベット・ミドラーの「ローズ」です。そして「社長さま、ごめんなさい。次はちゃんと歌うから」って謝るわけ。
一昨年6月、千葉県内での昼のコンサートが終わったときのことです。「ローズ」を歌った葛城さんが、僕や共演の歌手たちに「ありがとうございました。これから病院に行きます」と言い、マネジャーと車に乗り込んだ。僕たちは夜の会場に移動。で、いよいよステージが始まるというとき、僕の携帯電話が鳴った。葛城さんからです。「社長さま、もう1回だけ、ステージに上げてくれませんか」「えっ、病院じゃないの?」「今、駐車場です」。もう歌えるような状態ではありません。ステージでお客さんに挨拶してもらいました。
その数日後の朝、葛城さんから電話がありました。「社長さま、最後までステージに上げていただき、本当にありがとうございました」。葛城さんはその日のお昼、亡くなりました。(聞き手 大野正利)