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西田敏行さんも涙したオオカミの鳴き声 「動物を守る」 旭山動物園元園長 小菅正夫さん(76) 令和人国記

産経ニュース 2024年7月21日 10時0分

北海道にある日本最北の「旭川市旭山動物園」元園長、小菅正夫さん(76)は札幌市出身。北海道大を卒業後、同園で獣医師などとして働き、閉鎖の危機にあった同園を、「行動展示」という手法で話題を呼ぶことで、見事に復活させた。現在は札幌市環境局参与として札幌市円山動物園を担当している小菅さん。その思いにあるのは、動物への愛情だ。

「君を待っていた」

北海道大では柔道一筋。後輩たちからは「半狂乱の世代」と呼ばれました。勝つために何でもやるから。4年になって就職が決まらず、アルバイトをしながら研究生で大学に残り、その後就職しようと考えていました。忘れもしない昭和48年3月5日、その申し込み手続きで大学に行ったとき、掲示で旭山動物園の求人票を見つけたんです。

動物園なら働けそうかなと思い、就職担当の先生を訪ねたら「君が来るのを待っていた」と言われました。後で聞いた話では、旭川市の偉い方が「獣医を1人採りたい」と訪ねて来たとき、たまたま柔道着姿の私が目の前を走っていたらしく「1人だけ就職が決まっていないのがいる。あの学生です」という話になり、待っていてくれたそう。3年間は絶対に音を上げないという条件を出されましたが、「あの柔道部で4年間辛抱したので絶対大丈夫」と説明し、紹介してもらいました。旭川市役所で受けた面接試験は大学卒業式当日の3月25日でした。受験生は私一人で「4月1日から来てください」という結果に。劇的な〝逆転ホームラン〟でした。

「あなたがやれ」

旭川市役所では130人ぐらいで3週間の新人研修を受けました。その中で旭山動物園を開設した当時の市長の講話があったんですが、誰も質問しないので、私が手を挙げて「私の配属先は動物園ですが、市長はどんな動物園にしたくてつくったのか」と尋ねてみました。開園6年目。市長の言葉は「あなたがやるんだ」でした。その言葉に「俺がやらなきゃ」とすっかりその気になるわけです。動物園では大先輩がたくさんいましたが、生意気な新人だったと思います。

職員は10人ほど。最初に担当したのはクジャクとか七面鳥でした。キジやウコッケイなんかもいるわけですが、動物園のことは全く知らない。そんな中で先輩が「これは何の卵だ」とか、1本の羽根を見せて「これは何の鳥か」とか質問してくる。適当に答えると「そんなことも知らないなら辞めてしまえ」。揚げ句の果てには「うちの動物は病気になんてならないから獣医はいらない」とまで言われました。先輩たちは動物が大好きで動物園に来た。自分は「動物園でもいいかな」という軽い感じだったので差は大きいわけです。それから動物について必死に勉強を始めました。先輩の獣医からごっそりと本を借りてきたりしながら、3年ぐらいかけて書き写しながら覚えました。コピーなんてない時代でしたからすべて手書きです。

ある時、先輩が担当していたアカゲザルが出産し、その赤ちゃんが地面にほうり出されて瀕死(ひんし)の重体で運ばれてきたことがあった。点滴して体をゆっくり温めて2日ほどかけて治したら、「獣医って治すこともあるんだな」とちょっとだけ見直してくれましたね。

旭川医科大の先生が研究のためサルの採血に来たことがあった。僕もお手伝いをしたんですが、そこにいた教授が「学名は?」と聞いてくるので、答えると先輩たちがびっくりしているんです。その時に「自分が分かっていないとダメなんだ」と分かりました。技術や知識を付けてから少しずつ認めてもらえるようになったんです。

繁殖の研究もしていました。週休1日の時代に朝から北大へ行き、細胞培養を習ってから夜に旭川に戻る生活。3年ぐらい続いた頃、旭川医科大を紹介してもらい、札幌に通わずに研究できるようになり、雄雌判定の結果を参考にペアリングをしてオオコノハズクなんかの繁殖にも日本で初めて成功することができました。そんなときに旭山動物園の閉鎖の話が出てきました。

通らない予算

旭山動物園の閉鎖の話が出て来たとき、真っ先に、頭に浮かんだのが動物園を守ることでした。それから運営をどうやればいいのかを仲間と考えました。

一つ一つの動物舎を変えていこうという思いはあったけど、動物園としての役割をしっかり固めていかなかったら存在理由がなくなる。「園はいらない」という市役所と一緒に考えなければダメだと思い、園を所管する市の商工部に「旭山動物園あり方研究会」をつくってもらい、経済や金融などの外部委員も入れて検討しました。

旭山動物園は「命を伝える動物園」。命とは何かを伝えるため、子供が直接触れられることを考えた。例えば心拍とか体温とか。動物独特の「生命のふにゃふにゃ感」を伝えるには心へ向かって進めないとダメ。どんなに知識で説明しても命は伝わらないからです。そのためにサルやキリン、カバ、猛獣たちの形はこんなに多様性があるんだという「動物の世界を見せる施設」をつくろうと市に予算要求をしました。が、なかなか認められなかった。

ある日の夕方、暗い園長室で園長が涙ぐんでいたことありました。理由を聞いたら市議会の動物園予算審議で「園に予算をつけるのはドブに金を捨てるようなもの」と言われたという。議会では反論できないことがとてもショックでした。議論するところが議会と思っていましたから。

その後も園の予算要求をするんですが、動物園が地域で果たすべき役割や教育について考えても、当時の市長がいらないと意思表明したのでダメだったんでしょう。そんな時に寄生虫のエキノコックスでゴリラが死んだ。これでもかというぐらいの鉄槌(てっつい)でした。

万全な寄生虫対策

どこで感染したかは不明ですが、今すぐ閉園して対策を取り、改めて開園すると発表したほうが市民も安心してくれるだろうと思い、発表するよう主張しました。獣医師会やほかの動物園などに電話して事情を説明すると、「なぜ公表するのか」という声もあった。園内で感染する可能性があるので「知るか知らないかで命にかかわることもある」と市長に説明して理解してもらいました。

報道発表では、寄生虫の卵が体内に入ってから症状が現れるまで10年以上かかることや、原因判明がわずか3日前で関係機関への調整が必要だったと伝えても「なぜ今ごろの発表になるのか」と厳しく指摘されました。

平成7年8月に閉園し、市長選挙で新しい市長が選ばれた11月以降に再開。私も園長に就任することになりました。約6千万円をかけてエキノコックス対策を実施。北海道衛生研究所のキツネ対策の研究者に相談し、動物園外壁の忍び返しに(エキノコックスが主に寄生する)キツネがよじ登ってこないような外側向きの鉄板が付いています。穴を掘って入り込まないよう地下60センチぐらいまで鉄板を埋めました。北海道の中で最も対策が進んでいるのは旭山動物園だと自信を持って言えます。市長も一つ一つ予算をつけてくれたことがありがたかったですね。

西田敏行さんも感動

人気のオオカミ舎では遠吠えを聞くことができる。そういう施設はなかなかないですね。私が退職するときに整備したんですが、遠吠えの練習もしました。園内放送に反応することが分かり、アナウンスする職員を変えてみるとある職員の声に反応することが分かった。それ以来、どんな時でもオオカミを鳴かせることができるようになりました。俳優の西田敏行さんが来園された際、遠吠えを聞いて「生まれて初めて聞きましたが素晴らしい」と涙を流された。感動を与えるのが動物園です。お客さまの言葉から「かわいい」や「かっこいい」が消えて、「すごい」になっていく。人間にはない動物たちが生きているという素晴らしさを「すごい」と思わせるのが私たちの仕事。そう思ったときに人が動物を尊敬するようになる。その使命はずっと変わらないですね。

(聞き手 坂本隆浩)

こすげ・まさお 昭和23年、札幌市生まれ。北海道大獣医学部卒。旭川市旭山動物園で獣医師・飼育係を担当。副園長などを経て平成7年園長に就任。閉園の危機にあった同園を再建し、入園者数日本一を達成した。現在は札幌市環境局参与で札幌市円山動物園を担当。著書は「生きる意味って何だろう?」「<旭山動物園>革命」など多数。

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