《ニッポン放送の夜の生番組「三宅裕司のヤングパラダイス(ヤンパラ)」で人気はうなぎ上りに》
芸能人とはどんなものか初めて分かりました。顔も分からない30歳過ぎの男に、バレンタインのチョコレートが紙袋3つ分ぐらい来るわけですよ。
《同じころ、テレビでも動きが出てきた》
昭和59年10月、「いい加減にします!」(日本テレビ系)が始まりました。その前に出演した「サザンの勝手にナイト あっ!う〇こついてる」(日本テレビ系、同年4~9月)とは違って、スーパー・エキセントリック・シアター(SET)がレギュラーのコント番組です。自分のやりたい「演じる笑い」の番組です。
レギュラーには植木等さんもいらっしゃいました。
子供のころ、「シャボン玉ホリデー」で見て憧れた植木さんが、現実に「三宅ちゃん」って笑いながら近づいてくるなんて夢のようですよ。
本番でも植木さんの「お呼びでない」などのギャグが飛び出しました。でも、どうしても周りが(植木さんに)合わせていくというか、大きさに圧倒されるんです。植木さんの笑いになってしまう。独壇場です。
そんなとき、伊東四朗さんをゲストに呼ぶ話が出ました。
《伊東氏は三波伸介氏、戸塚睦夫氏とお笑い3人組「てんぷくトリオ」で人気者となる。その後は、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」(テレビ朝日系)の「電線音頭」でのベンジャミン伊東としてバラエティー番組に出演したほか、NHKの朝の連続テレビ小説「おしん」や「ムー一族」(TBS系)で主人公の父親役を演じるなど、現在も幅広く活躍している》
僕はてんぷくトリオも大好きだったので、ぜひ来てほしかったのですが、伊東さんがめちゃくちゃ忙しいときで「無理です」という答えだったんです。
でも、僕は日テレのプロデューサーさんと一緒に「なんとか来てください。劇団で全部周りを固めておきます」とお願いに行きました。脚本を伊東さんに渡して、「伊東さんは自分の分を覚えてきてくれれば、そのまま本番ができるようにしておきますから」と話して、ようやく承諾してもらえたのです。
《そのときのコントで伊東氏が演じたのは間抜けな裁判官。検事が大学の同窓だと聞くと「有罪」。弁護士(三宅氏)から、被告が裁判官と同じ山羊座で血液型もABだと聞くと「無罪」。だが、被告が阪神ファンだと聞いて、「私は巨人ファンだ。死刑」と宣告する、というものだった》
いつもは、ゲストもリハーサルを何日かやってからスタジオに入って本番です。が、このときは伊東さんの代役を立て、SETが周りを固めてリハーサルをやりました。
当日初めて、収録スタジオに伊東さんが来ました。
代役のところに伊東さんが入って、カメラリハーサルをやっただけで本番を撮りました。それが一発でOKだったんです。
テンポがよくて、間がよくて。みんなから「すごいね。どういうこと?」と言われたんです。
後から考えると、僕は子供のころから落語が好きで落語研究会出身。伊東さんも落語から歌舞伎まで古典芸能が大好きなんです。伊東さんの著書にも書いてありますが、裏方さんのふりをしてこっそり忍び込んでまでして、歌舞伎を見ていたそうです。
2人の「落語の間」がぴったり合っているから、初めてやってもいい間でできたんだろうという結論になりました。
植木さんのときには、そのパワーの大きさに圧倒されて、三宅裕司の笑いが出し切れなかったんですね。(聞き手 慶田久幸)