《昭和37年、水原茂監督の下で初優勝、日本一に輝き、張本さんもシーズン最高殊勲選手(MVP)と最高の年に。それに加えて〝人生最高のワンシーン〟も》
今でも忘れもしませんよ。7月26日の広島球場でのオールスター第2戦です。私が22歳のときだね。野球人生で一番の思い出です。16歳夏に故郷を飛び出して、どうでしょう、ちょうど6年で恩返しできたんです。3―4と1点リードされた九回1死一塁でした。広島の大石清さんから右翼席へ逆転の2ランホームランを打ってMVPになったんだ。
その模様がNHKの映像に残っていて、お袋(順分(スンブン)さん)と兄貴(世烈さん)が映っている。私が22歳だからお袋は62歳だね、兄貴は30歳くらいか。NHKもソレを撮ろうとは思ってなかったらしい。スタンドを流して撮っていたらちょうど2人が観客席におったらしい。映像は家にある。大切な宝物です。
《二回にも左翼席へ本塁打するなど4打数3安打4打点》
MVPを取った。グラウンドでスポットライトを浴びる。昔の彼女も来ている。中学時代の彼女も来てる。学校の先生も全員、招待していましたからね。そういうところでインタビューを受けた。人生最高でしたね。もう、それしかない。3000安打を達成した(55年5月28日の対阪急、川崎球場)のももちろんうれしかったですが、故郷に錦を飾るのは格別でした。
《まさに〝歓喜の37年〟から1年後の38年の球宴、巨人・王貞治さんの鋭い打球が、知らず知らずに生まれた気のゆるみに気づかせてくれた…》
新人王を取って3割も打って首位打者、MVP、日本一でしょ。入団から順調にきて気持ちが緩んでいたのかもしれないね。優勝した翌38年のオールスターです。王のすごさに驚かされたんです。王とは同期ですが、それまであまり調子が出なかった。前の年(37年、38本塁打で)タイトルを取ったとはいえ、どちらかといえば私の方が勝っていると思っていた。
山内(一弘、当時大毎)のおじさんと一緒に「王が最近ちょこちょこホームランを打ってるらしいから、ちょっと冷やかしに行こうよ」ってバッティングケージの後ろで見たんです。
ハッとしました。打球が違った。速度、飛距離、力強さ、球の伸び。いつ、こういうバッターになったんだって。今まで見たことのない打球でした。右中間あたりの上段に打ち込む。練習ですよ。あんな軽い球で。本番ならもっと飛びますよ。本当に冷や水をかぶせられた気になりました。おじさん(山内)に聞いたら「張、お前もこういう球、打っておったで」と言われて、よけいにふがいないという気持ちになりましたよ。
それから夜遊びはやめた。ピタッとね。オールスターは普段の試合と違って、遊びの期間なんです。みんなとワイワイやって楽しむ時間だったけど、王のスイングを見て、宿舎に戻って一歩も出なかった。バットを振りましたよ。
シーズン中は試合前の練習だけでなく、終わってからも素振りを300回はやった。バットを振らないと不安なんです。やけどで右手が不自由というハンディもあった。人より余計にやらなきゃという思いはあったが、王に刺激されてオールスター期間中も振った。それでも自分本来のスイングに戻すのに1年間以上はかかりましたね。
《35年から3年連続3割以上の数字を残していたが、38年は2割8分…》
王に目を覚ましてもらった。それは過言ではないね。山内のおじさんの「お前だって…」にもね。翌39年は3割2分8厘と戻したけど、40年は2割9分2厘でしょ。41年から9年連続して3割以上打った。気の緩みがなければ、20回、3割を続けていたかも。今考えるとものすごく残念です。(聞き手 清水満)