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47歳専業主婦から有名企業渡り歩きキャリアアップ 薄井シンシアさん「これからは誰かのために」 100歳時代の歩き方 私の後半戦

産経ニュース 2024年9月29日 9時0分

専業主婦が47歳で得た仕事はカフェテリアのスタッフだった。そこから電話受け付け、外資系大手ホテルの営業開発担当副支配人、五つ星ホテル、世界企業…。子育て後の人生を戦って切り開いてきた。「これからは自分のためだけでなく、誰かのために働く」。70代を見据え、また新たな道に飛び込んだ。

現在は外資系IT企業でイベントサポートの仕事をしながら、NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」のアドバイザーを無償で務めています。8月下旬には夏休みの経験格差を何とかしようと、一人親家庭の親子約20組をラグジュアリーホテルの東京ステーションホテルに招待し、体験ツアーとランチのイベントを行いました。200組以上の応募があり、来年は規模を広げたいです。

《30歳で出産してから17年間は、外交官を夫に持つ専業主婦だった》

出産前はバリバリ働いており、辞めるなんて考えていなかった。娘が生まれ、「この子と一緒にいたい」と、自分の中の優先順位が変わりました。私は子供のころから常に自分と対話し、価値観を見据え、優先順位をつけて行動を起こしてきました。

《その姿勢には家庭環境も影響している》

フィリピンの華僑の家に生まれました。女性は父親の言うことを聞き、結婚し、旦那さんの言うことを聞く-というのが家庭の方針でした。ほかの道は待っていても誰も与えてくれない。私が自分の価値を示すためには行動しなければならなかった。日本への留学も反対を押し切り、帰らない覚悟でした。

《娘が米国の大学に入学。47歳で仕事を始める》

子供が手を離れたら、仕事に戻るのは自然な流れでした。最初は、娘が通ったタイ・バンコクのインターナショナルスクールのカフェテリアでの給食指導です。専業主婦のとき、家庭を会社と捉えて運営していました。PTAでも改善に努め、実績を残した。その働きぶりを見ていた人からの話でした。

《手腕を発揮、評判の店にする。52歳で日本に帰国した》

日本では年齢で門前払い。やっと会員制クラブの電話受け付けに時給1300円で雇われ、1年後には売り上げの4分の1を上げました。そのころ、私のバンコクでの働きを知っている人がANAインターコンチネンタルホテル東京の総支配人に就き、声をかけられました。

《仕事はセールスマネジャー。営業だ》

ホテルはまったく経験がない。でも私は外交官の妻として各国のホテルを経験している。知らないことは学べばいい、と引き受けました。目の前のチャンスはつかまないとね。営業は数字を出せば認めてもらえます、3年後には営業開発担当副支配人になりました。

契約社員です。この年齢で正社員になっても、キャリアアップのスピードは遅いと考えました。契約社員として1年ごとに会社と交渉するからこそ、実績を上げられたのです。

《その後も有名企業を渡り歩いた》

キャリアと収入をアップするためです。専業主婦からのキャリアアップを驚かれることが多いのですが、専業主婦はしっかりやれば立派なスキルです。仕事だって、まず基礎を学んで土台を固め、お客さんが求めることを提供する。家庭と同じです。

《シニアには余裕がないという》

突っ走ってきた人は60歳くらいになると『早く退職したい』となります。でも寿命まで何をするの? 60歳にもなると社会からは何も求められません。何かしようと思えば自分で動くしかない。でも、消耗してしまってエネルギーがない。私は子育てのためにいったん離職したことで、エネルギーがまだまだあります。

《自身は70代の生き方を考えた》

「他人のために生きよう」と決めました。65歳で嘱託社員になったのを機に週3日の勤務にし、NPO法人の仕事を始めました。人脈とスキルを生かして冒頭のイベントを発案し、就任2カ月で実現させました。誰かのために生きることで、生き生きした70代を迎えるつもりです。(聞き手 小川記代子)

薄井シンシア

うすい・しんしあ 昭和34年、フィリピン生まれ。55年に国費留学生として来日し、東京外国語大を卒業。外務省勤務の日本人と結婚後も働き、出産で専業主婦に。47歳でバンコクで仕事を再開。日本帰国後の再就職に苦労するも、以降はキャリアアップを重ねる。著書に『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと』など。

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