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万博輸送「今回も無事に運行担って」 北大阪急行の元車掌、1970年大阪万博振り返る

産経ニュース 2025年1月20日 13時24分

2025年大阪・関西万博会場の最寄り駅となる大阪メトロ中央線夢洲(ゆめしま)駅(大阪市此花区)が19日に開業し、主要アクセスが整った。さかのぼること55年前の1970年大阪万博でも、輸送の主力は鉄道だった。その主役は北大阪急行電鉄(北急)の「会場線」。当時、会場線で乗務した元車掌は「無事に運行を担ってほしい」とエールを送る。

北急は大阪の都心部から万博会場と千里ニュータウンを結ぶ路線として、万博開幕約3週間前の昭和45年2月24日に開業。当時の営業区間は、江坂(大阪府吹田市)から万博会場最寄りの万国博中央口(同市)の約9キロ。現在の千里中央駅(同府豊中市)の南約500メートルの地点で東へ曲がり、万国博中央口まで結ぶ区間(3・6キロ)が会場線と呼ばれた。

開幕数カ月後には乗客あふれ

万博前年に入社した久保田義秋さん(73)は研修期間を経て万博の期間中、車掌として平日は9往復、週末は10往復する勤務体制で乗務していた。

45年3月の万博開幕から約1カ月は大きな混雑はなかったというが、日を追うごとに急増。7月頃には8両編成の列車は数千人の乗客であふれ返った。「当時の車両には空調がなく、天井でファンが回っている程度。汗だくになっている乗客を見て申し訳ない気持ちになった」

8月に万国博中央口から江坂行きの最終電車を担当した際には、江坂で大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)御堂筋線の別電車に連絡することになっていたが、あまりの混雑ぶりに乗り換えできない乗客が続出。やむなく北急の列車がそのまま御堂筋線も運行したこともあったという。

会場線には万国博中央口駅のほか、仮設の千里中央駅があった。「中央」を名乗る駅が2駅連続しているため、大阪市内から万博へ向かう乗客が間違って仮設千里中央駅で途中下車する事例が続出。車内アナウンスは「万博公園駅」に変更したという。

大阪万博の総入場者数は6421万人余りにのぼり、万国博中央口駅の乗降客数は約4148万人を数えた。久保田さんによると、ピーク時に約2分15秒間隔で運行したこともあったがさばききれず、同駅のホームはあふれ返っていた。車掌業務を終えた後に同駅ホームで雑踏対策に駆り出されたこともある。「大きな事故を起こすことなく、よく無事に輸送できた」と自ら感心するほどだった。

当時の熱気伝える砕石

万博が閉幕した翌日の9月14日には仮設千里中央駅に代わって現在の千里中央駅が開業し、会場線は廃止。現在の千里中央駅までの運行が始まった。万博閉幕後は空席が目立ち「このままで大丈夫かな」との不安がよぎったという。それでも、千里ニュータウン周辺の開発が進み、現在では1日約14万5千人(令和5年11月調査)が利用。昨年3月には箕面萱野(かやの)駅(同府箕面市)までの延伸が実現した。

現在、会場線は地下部分の約300メートルだけが残されている。線路や枕木などは撤去済みで、開業時に敷設された砕石(バラスト)が当時の熱気を伝える。

久保田さんは運転士や駅長なども歴任し平成24年に退職した。「今回の万博も混雑が予想されるが、前回より技術が発達している。事故なく無事に運営されてほしい」と話す。(格清政典)

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