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民主党政権発足 きしんだ日米 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<8>

産経ニュース 2024年9月8日 10時0分

《40年以上に及んだ外交官生活の締めくくりは駐米日本大使(2008~12年11月)としての職務だった。記憶に残ったことは何か》

外交官生活の最後に米国で4年半勤務したのはやりがいがあった。ただこの間、自民党で2人、民主党で3人の計5人の首相、6人の外相のもとで働いた。頻繁な交代は信頼関係の構築にはマイナスだった。首脳会談の設定など簡単でなかった。やはり一番記憶に残っているのは東日本大震災への対応だ。

《鳩山由紀夫首相が、在日米軍海兵隊の拠点、普天間基地(沖縄県宜野湾市)の県外移設を公約にするなどして「ルーピー(頭がおかしい)鳩山」などと米国で呼ばれたこともあった。さらに、クリントン国務長官から呼び出しを受けるなど、日米関係に不協和音が響いた》

沖縄問題や米国抜きの東アジア共同体構想などで米国との間できしみがあったのは事実だ。2010年は安保改定50周年だったが、両首脳が個別に声明を出しただけ。残念ながら記念レセプションをやるような雰囲気はなかった。1960年当時、在京米国大使館員として改定にたずさわったフィアリー氏の子息とレオンハート氏の令嬢と私の三者がそれぞれの親の署名も入った記念のシガレットケースを持ち寄ってささやかな会合を開いた。私の父は当時、条約局次長として参画していた。

「ルーピー」というのはワシントン・ポストの一コラムニストが書いた表現だ。一国の首相に対して礼を失するもので、日本人として怒るべきだ。それをメディアがはやし立てたり、「ルーピー」などと国会でやじを飛ばした議員がいたりしたのはどうかと思った。

クリントン長官の呼び出しは、先方が米国の立場を日本の要人に正確に伝えるのには大使に話すのがいいと考えたのだろう。記録係が随行してきちんと報告電報になるからだ。そのとき記録してくれたのは、今の国家安全保障局長、秋葉剛男公使だった。国務省のクローリー報道官が会見で、長官が呼び出したのではなく大使が立ち寄ったので会ったと述べたのにはびっくりした。私を気遣ったということだったが、余計なお世話で事実と異なる。大雪で政府閉鎖の日であり、私から行くはずがないし、長官室に立ち寄って会えることもない。それなのに報道官にこれらをたださずそのまま報道した新聞があったのはちょっと残念だった。なおこの報道官はその数カ月後、機密漏洩(ろうえい)容疑者に対する国防総省の取り扱いを批判して辞任せざるを得なくなった。あまり考えない人だったんでしょう。

日本の民主党政権は当初、長い間自民党の下にあった官僚たちを信頼せず、意思決定は政務三役で行うとして官僚を切り離したので政府が一体となっていなかった。官僚なんてうまく使えばいいのにそれを分かっていなかった。大使館にも、来るべき情報がしばらく来なくなった。もっともこれは3年間の民主党政権の初めだけだった。

《オバマ大統領との関係構築で、苦労したことは?》

アフリカ系の血も受け継ぎながら47歳で大統領になった人なので、一見以上に守りが堅く実務的な人だったと思います。それは、日本の首相との関係だけでなく、どの国の首脳ともそうだったと思う。

しかし成果は見るべきものがあった。オバマ大統領は、尖閣について「日米安保条約の適用対象」と初めて明言した米国大統領となった。また核廃絶を訴え、広島原爆資料館を米国首脳として初めて訪問した。3・11(東日本大震災)の支援についても、大統領自らの判断で行った。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)についても中国に貿易のルールを作らせるわけにはいかないとの理由で推進した。対日関係では、大きな功績があったと言える。(聞き手 内藤泰朗)

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