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「伯父の戦友、帰還を」アンガウル島玉砕から80年 遺骨収集に取り組む一途な思い 眠れぬ墓標

産経ニュース 2024年10月19日 19時24分

先の大戦の玉砕地の一つ、パラオ・アンガウル島で、戦死した伯父に代わって戦没者遺骨収集に取り組む遺族がいる。1カ月に及ぶ持久戦の末に日本軍がほぼ全滅してから19日で80年。この夏、部隊を率いた伯父の可能性がある遺骨が発見された。それでも「伯父の仲間を帰還させたい」といういちずな気持ちは変わらず、遺骨収集に身をささげる。

「思いもよらないことで本当に驚いた。担架と遺骨は水平に置かれていて、棺に入れられているようだった」。長野県の後藤寛さん(75)は、7月に参加したアンガウル島の遺骨収集での出来事を振り返る。

「担架に乗った遺骨が見つかりました」。同月21日、戦闘終了後に米軍が日本軍将兵の遺体を埋葬した地で、活動中の遺骨収集団メンバーから声が上がった。近くで別の遺骨を収容中だった後藤さんの耳にも届いた。

活動場所は、米軍が作成した地図に、伯父で守備隊長だった後藤丑雄(うしお)陸軍少佐=当時(35)=を埋葬したと記載された一画。遺骨は担架の上にあおむけの状態で、乱雑に集団埋葬された遺骨もある中で、丁寧に葬られた様子がうかがえた。

少佐の戦死で弟である後藤さんの父が家を継ぎ、後藤さんは実姉2人のほか少佐の娘3人と育った。会ったことがない伯父だが、平成28年に初めて慰霊のために訪れたアンガウル島で「戦友を日本に連れ帰ってくれ」と告げられた気がした。「息子ではなく甥(おい)だから」と遠慮もあったが、姉たちに背中を押され、30年から始まった埋葬地での活動に参加した。

「『自分のことよりも仲間を』と思っているはず」。実直な性格で部下思いだったと伝わる伯父に気持ちを重ねる。「ここで見つかる遺骨に、伯父に代わって『ご苦労さまでした』と伝え、抱きしめるのが俺の役割だ」と、過酷な環境下で黙々と汗を流してきた。

担架に乗った遺骨が見つかり、収集団メンバーが色めき立つ中でも、淡々と自分の役割に徹したが、鑑定のために並べられた遺骨のそばを離れられなかった。

「ようやく父を迎えられるかもしれない」。少佐の娘である姉たちも喜んでくれ、身元確認のDNA型鑑定のための検体を提出する準備を進めている。後藤さん自身、期待がないわけではないが、念頭にあるのは、伯父とともに戦った人たちのことだ。

今年はアンガウル島をはじめ、先の大戦で太平洋の島々の日本軍が次々と玉砕した昭和19年から80年。各地には112万人分の遺骨がいまだに残されたままだ。アンガウル島でもほかに、持久戦を展開した日本軍が立てこもった島北西部の密林内にある険しい岩場などに遺骨が残る。

8月には少佐の80回忌を営み、12月も収集活動に参加する予定の後藤さん。「今年は私にとっては伯父の80回忌。80年前の今頃、大変な思いをしていた人がたくさんいたし、戦場は悲惨だったはず」と思いをはせ、「なんとか皆さんの遺骨を帰還させたい」と誓う。(池田祥子)

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