《平成15年公開の松竹映画「壬生義士伝」(浅田次郎原作、滝田洋二郎監督)に、大坂・盛岡南部藩蔵屋敷差配役、大野次郎右衛門として出演した》
作家、小林信彦さんが作った「森繁病」という言葉があります。お笑いをある程度やると、シリアスな芝居をやって、それで評価を得たくなる、との意味です。
俳優の森繁久弥さんは満州でアナウンサーをやったり、新宿にあった「ムーラン・ルージュ」というレビューでコメディーをやったりした後、東宝の喜劇映画「社長シリーズ」がヒットして名前を売りました。すると、その後はシリアスな映画で好評を得てビッグネームになった。
フランキー堺さん、伴淳三郎さんらもそんな流れがあったんです。
《フランキー堺氏はジャズドラマーで、コミックバンド、シティ・スリッカーズを結成。やがて江戸時代末期の品川宿を描いた喜劇映画「幕末太陽伝」(日活、川島雄三監督)や市井の生活をしていたBC級戦犯が処刑される社会派テレビドラマ「私は貝になりたい」(TBS系)などで演技派俳優として評価された。伴淳三郎氏は、喜劇映画の常連だったが、映画「飢餓海峡」(東映、内田吐夢監督)での枯れた演技が評判となった》
僕はそれまでも映画「サラリーマン専科」シリーズ(松竹)で主役を演じるなど、何本も映画には出演していましたが、壬生義士伝の大野は全く違った役でした。
《壬生義士伝は、中井貴一氏が主役の盛岡南部藩下級武士、吉村貫一郎を演じた。明治維新前夜、貧しさゆえに脱藩し、新選組に加わった吉村。だが、鳥羽伏見の戦いで敗れ、満身創痍(そうい)の状態で大坂の盛岡南部藩蔵屋敷に倒れ込む。そこで、竹馬の友である大野と再会する》
台本を読んで、「うわっ、これ、大変な役だな」と思いました。「何でもやる」と言って引き受けたけれど、めちゃくちゃ苦しみました。
中井さんが瀕死(ひんし)の状態で屋敷に入ってきて、それに向かって複雑な思いで「腹切って死ね」って言うんです。
《幼なじみは助けたい。だが、屋敷の外では倒幕勢力が、幕府方の敗残兵を探している。大野は盛岡南部藩20万石を守らなければならない立場にある》
大野家伝来の名刀、大和守安定(やまとのかみやすさだ)を吉村に渡す。武士の情けですよ。
この時代の男の生きざまとか、幼なじみに死ねという気持ちとかを考えました。原作を読んで、映画の台本も読み込んで、ずっとその気持ちを作るための練習を一生懸命やりました。
でも、並行していろいろな仕事もしていますからね。ばかなこともいっぱいやっていて。
京都にある松竹で撮影する間も、日曜日の朝は「ザ・ベスト30〝スゲェ!〟」(ニッポン放送)があるんです。京都から生放送です。そこではばかなことを言って軽薄にしゃべるわけです。
ニッポン放送の連中は前乗りして夜、宴会場で飲んで。それから、いつも行く飲み屋でまた飲んで。そこに中村雅俊さんがいて、僕と一緒に番組をやっていた小口絵理子アナウンサーが、中村さんが歌手もやっていることを知らなくて、「えっ、歌えるんですか」と言ったら、中村さんが「うらっ!」ってシャレで激怒して大笑い。
そんな感じで盛り上がって、次の日の朝、ラジオで生放送。
生放送が終わると、また壬生義士伝の撮影で、男と男、武士の世界に入っていくわけです。(聞き手 慶田久幸)