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〝盟友〟王選手の756号を祝うスーパージャンプ! イチローが絶賛「めっちゃいい人」 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<21> 

産経ニュース 2024年12月22日 10時0分

《令和6年の今年、球団創設90周年を迎えた巨人。本拠地の東京ドームでは5月3日の阪神戦で「長嶋茂雄DAY」と銘打つレジェンドをたたえるセレモニーが行われたが、同月28日のソフトバンクとの交流戦「王貞治DAY」には〝盟友〟の張本さんも駆け付けた。つえをついての登場に…》

春先に腰の手術をして、それから前立腺もやって。今はもうすっかり元気です。あの日、医者からは外出を控えるように言われていた。でもワン(王)ちゃんのためなら這(は)ってでも行かなきゃいかんだろうって。あの試合はもう47年前になるんですね。

《あの試合とは移籍2年目の昭和52年9月3日ヤクルト戦(後楽園)。王さんは鈴木康二朗投手から756号本塁打を放ち、世界記録を達成した。その瞬間、喜びを爆発させるスーパージャンプ!》

ワンちゃんのホームランが出たとき、跳びあがったのは無意識でしたよ。ウォワーッって感じでね。意識してたらあんなに跳べないよ。後で写真を見たけど、よくもまあ、こんなに跳んだなって。自分でも本当にうれしかったねぇ。

王はね、やっぱりライバルだけど、友人ですからね。普通は同僚が殊勲打を打っても心の中では誰も喜ぶヤツはいないんだ。ベンチに戻ってきて、皆ハイタッチなどしてるけど、心の中は違う。喜んでいるのはその日投げている投手、監督、コーチだけですよ。格好つけて喜んでいるだけ。打者は「俺がやるところを、お前がやりやがって」って思っている。

でもあのときはね、心底喜びましたよ。記録を追求する人の気持ちがわかるから、早く達成してもらいたいって。さすがの王でもプレッシャーはあったと思うよ。あの日、王は3番を打って私が4番だった。試合前に長嶋監督に呼ばれました。「王はああいう(まじめな)性格だからお前は何番を打っても大丈夫だろ。気分転換に王を3番にするからお前が4番を打て」って。私は何番でもよかった。とにかく早く達成してほしかった。

《令和4年、マリナーズなどで活躍したイチローさんは、モバイルゲームの公式YouTube動画で、レジェンドOBとして張本さんを選出。その理由を「人の記録であんな表現ができるのってめっちゃいい人なんだなと思う。あの写真を見て想像するんです」と絶賛…》

イチローは写真を見て喜んで、ワッペンを作ってTシャツにしたらしい。「サンデーモーニング」(TBS系)でいろいろ厳しい苦言を呈しましたが、番組を去るときにはちゃんと談話をくれました(笑)。

王との一番の思い出は、広島の私の家に泊まったことかな。契約金200万円のうち100万円で建てた家にね。プロ入り2年目(昭和35年)のオフに日米野球でサンフランシスコ・ジャイアンツが来日した。全日本で全国を転戦して、王は広島の試合に出られない。九州(11月8日平和台、9日下関、10日広島)から移動途中、広島に一晩泊まれということになった。

2人とも20歳過ぎです。一緒に飲みに行きました。クラブで遊んでね。王も広島遠征でなじみの店がある。途中で別行動になったが、ちょっと行き違いがあって、しようがないから私は家に帰ったんです。あくる朝ですよ、よく探してきたよな、王は。私の家まで来たんです。初めて来たのに、ちゃんと住所を知っていたんだね。広島市内の八丁堀で飲んでいた。一応、待ち合わせ場所を決めていて夜中に探したみたい。私は帰ったけど。王の几帳面(きちょうめん)なところだね。

その夜、私の家に泊まりました。昔は五右衛門風呂です。一緒に2人で入って、6畳の部屋に寝て。懐かしい家ですよ。今は区画整理で近くに建て替えして甥(おい)が住んでます。

《52年は打率3割4分8厘、24本塁打、82打点と長嶋巨人のリーグ連覇に貢献、王選手の世界記録の記念日には22号本塁打の祝砲もあげた》(聞き手 清水満)

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