琵琶湖の浜辺を歩くと、空き瓶のかけらなどが波や砂にもまれ、小石のように丸くなったガラスごみを目にすることがある。これをアクセサリーや雑貨に生まれ変わらせて「琵琶湖グラス」と名付け、ごみに新しい価値を与える楽しさをワークショップなどで伝えている。活動のきっかけは5年前、新型コロナウイルスの影響で仕事を失ったことだった。
20代の頃は「お笑いミュージカル」のダンサーだった。平成4年から4年間だけ存在した吉本興業の歌劇グループ「ファンキーロケッツ」のメンバーとして、舞台で踊っていた。
結婚して自然豊かな大津市北部に居を構え、30~40代は滋賀県でキッズダンス教室を主宰しながら、婚礼やイベントの司会者としても活動。「笑いと健康」をテーマにした講演も依頼されるなど仕事は順調に増え、イベント企画会社を設立する準備を進めていた矢先の令和2年春、コロナの猛威に襲われた。
「延期に次ぐ延期で予定表は真っ黒になり、結局はどれも中止。キャンセルか心配の電話しかなかった。20歳から30年、エンタメ一本でやってきて仕事がゼロ。生きている価値がないような失意のどん底でした」。急に行く場所がなくなったが、自宅にいても気がめいるばかり。弁当を作って自宅近くの和邇(わに)浜まで歩き、ぼおっと湖を眺める日々が続いた。
ある日浜辺を歩いていたら、白く濁ったガラスごみが「あめ玉みたいでかわいい」と目に留まった。自宅に持ち帰り、イヤリングを作ったら面白くなってきた。時間だけはたっぷりある。車で琵琶湖の浜を順番に回り、「東側の湖岸には丸みを帯びてカラフルなものが多いことに驚いた」と話す。自然の造形美に魅せられ、キーホルダーやアートなど、作品のバリエーションが増えていった。
浜辺にはごみ袋を持参する。13年前、16万人が手をつないで琵琶湖一周235キロを結ぶイベント「抱きしめてBIWAKO」の企画を担当し、下見のため湖周をくまなく歩き、ごみの多さに驚いて「琵琶湖をきれいにしたい」と思ったことがある。「その思いを今、かなえている」という充実感もあった。
ガラスごみはたくさん集まった。フォトフレームに貼り付ける創作キットを作って発信すると、コロナ禍で外に出られない客向けにと、いくつかのホテルから注文が入った。
これをきっかけに琵琶湖グラスを商品化した。それぞれが唯一無二の作品という珍しさと美しさが評価され、県内の主要なホテルや雑貨店で販売されている。
さらに、琵琶湖グラス作りを楽しみながら海洋プラスチックごみ問題などを考える「楽SDGs講演」を新たに企画すると、東京や滋賀の環境イベントに呼ばれて好評を得た。
こうした流れから昨年12月、株式会社「DAIGOMI」を設立。社名は、新たな価値を創造する「醍醐味(だいごみ)」と「ごみ」をかけた。5年前はエンタメ業中心だったが、琵琶湖グラスとの出会いで大きく世界が開けたという。「ないものを創造して感動を産み出していきたい」。さまざまな企画を温めている。(川西健士郎)
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みなみ・あき 滋賀県守山市出身。趣味は神社の御朱印集め。長男は独立し、夫、次男との3人暮らし。手がけた婚礼司会は600組以上にのぼり、テレビやラジオのMCとしても活躍。行政のイベントや企業の周年行事の企画運営も多数。