《中国・天津の貿易会社と契約し、個人輸入での通販事業に乗り出した。ところが注文した商品が日本に届かない。現地で確認すると、スタッフは郵送作業をせず、お茶を飲んでいた。通訳に理由を聞くと…》
通訳は「中国の郵便局は1週間に1日しか海外に郵送できないんです」と言う。「ああそう。それで?」「だから週に1日はみんな、頑張っているんです」。頑張っているって、おいおい、お茶を飲んでいるだけじゃないか。オフィスには注文品が山積みになっているぞ。で、「週に1日の郵送に向けて、梱包(こんぽう)作業とか宛先の記入とか、しないのか?」と聞いたんです。
通訳は「それはできません」ときっぱり言う。理解不能です。「石田社長、分かりませんか。中国では自ら働くと、社長から賄賂をもらっていると思われるんです」と。なんだ賄賂って…。戸惑う僕を横に、「賄賂をもらった社員は仕事を失うんです。だから梱包は1日1個が限界なんです」と。
ようやく合点がいきました。当時の中国の共産主義社会の下では、お互いに監視し合ってみんながおびえていたんです。人より仕事をすると、誰に何を言われるか分からない。だから1日1個、梱包し、週に1日、郵送するだけでいい、と。そういえばオフィスのある国際デパートも店員さんがいっぱいいるのに活気がない。これも自ら働くと上司から賄賂をもらっているとされ、失業になることを恐れていたからなのか、と。
《リヤカーで郵便局へ》
こうなればもう自分でやるしかありません。梱包して宛先を書くと、1時間で6個くらいの小包ができた。で、僕は黙々と作るわけです。それでもみんな、一向に手伝う気配はない。もう腹立つなあ、って。1時間で6個を7人だから40個くらいは作れるじゃないか…。
取引先の貿易会社には車が3台あるという。1台は社長用、1台はVIP用、そしてもう1台がトラックだと。で、通訳が「石田社長、トラックをお使いください」と言うので、見てみたら、自転車で引っ張るリヤカー、あれね。それに小包を積んで郵便局に行くわけですよ。
4往復はしましたか。通訳以外、最後まで誰も手伝ってくれませんでしたね。こうしたこともあって、この天津の貿易会社との取引は1年で解消し、香港に拠点を移すことにしました。
《通訳もおびえていた》
このとき手伝ってくれた通訳は、蘇建民という、信州大学に留学経験がある男性です。日本語が達者なのですが、中国共産党の党員でないから、頑張っても出世はできない。その蘇建民が「お願いがあるんですが」って言う。オフィスでは話しづらそうだったので、泊まっているホテルに呼んだんです。
で、蘇建民がやってきた。それが部屋に入るやいなや、テーブルの下とか、椅子の裏側、ベッドの下とかに頭を突っ込んで、なにやら探し始めたんです。あまりに挙動不審なので、「どうした?」と聞いたら、声は出さず、紙に「盗聴器」と書いた。盗聴器が仕込まれているかもしれないと、チェックしていたわけです。天安門事件の直後で外国人との接触に当局が目を光らせていた時期でした。
そこからは筆談です。蘇建民は「僕は日本に行きたいんです。石田社長の下で、中国の商品をいっぱい日本人に紹介したい。それで会社は発展すると思います。力をお貸ししますので応援してくれませんか」と。「どういうこと?」「僕を日本に呼んでくれませんか」「自分では来られないの?」「行けません。会社が日本語と中国語のできる人を雇い入れるという形にして、就労ビザをもらってくれませんか」
蘇建民は勤勉でしたので、断る理由はありません。役所に出す書類は全部自分で用意するという。でもそういう話は、オフィスとか公の場ではできないわけですよ。こうして公園やトイレなどで、偶然を装って密談を重ねる日々が始まりました。(聞き手 大野正利)