延べ14年間を刑務所で過ごした元ヤクザ。そんな生き方だからこそ、理解できることがある。一般社団法人「チャンスサポート」(大阪市城東区)で代表を務める川中正喜さん(49)。刑務所を出所した人や少年院を出た若者らに宿泊場所や食事を提供し、就労支援を行っている。かつて川中さん自身も味わった「人生のどん底」。そこから抜け出すきっかけを、手を取り合って探している。
顔にタトゥー、半グレ仲間から拉致…
「ごはん、食えてるか?」
「仕事はなんとかなりそうか? ゆっくりやったらいいで」
大阪市内のマンションにある「自立準備ホーム」。非行少年だけでなく、親からの虐待、自傷行為(リストカット)、市販薬のオーバードーズ(過剰摂取)など、さまざまな問題を抱えた若者たちが身を寄せる。川中さんは入居者一人一人に声をかけ、コミュニケーションを欠かさない。
「半グレ」グループのメンバーだった少年は、顔にタトゥーを入れていた。川中さんは自身が経営する飲食店で接客させ、毎朝店先を掃除してもらった。「見た目はどうしても怖いから、ご近所さんは気分がよくなかったと思う。だから少しでも前向きな姿を見てもらいたかった」
本人にその気があっても社会内更生は難しい。矯正施設では物理的に遮断できた過去の交友関係や生活習慣を、すぐリセットというわけにはいかないからだ。
「ホテルに監禁されてます。助けてほしいです」
ある日の夜、川中さんのもとに、サポート中の少年から連絡があった。かつて所属していたグループの仲間から拉致されたのだという。川中さんは鉄板入りのベストを着用して大阪ミナミの現場ホテルへ。到着したときには少年一人だけが残され、他のメンバーはすでに立ち去っていた。少年の体には殴られたとみられる傷の痕があったという。川中さんは「これまでやってきた悪さには、自分でけじめをつけないと」と険しい表情で語る。
支援に必要な「適度な距離」
ある少女は寂しさを感じるたびに市販薬を乱用し連絡がつかなくなる。自宅を訪ねると、意識朦朧の状態。それでも受け答えができると確認すると、川中さんは飲料水を置いて部屋を出る。ずっと寄り添うことはしない。オーバードーズを繰り返すのは川中さんを呼び出すためだと知っているからだ。「支援をする中で、僕に依存してしまう子もいる。でもそれでは立ち直れない。自分だけで気分をコントロールする術も学ばないといけない。適切な距離感が、長い支援には必要」
自身の更生にも長い歳月を要した。
3人兄弟の末っ子。スポーツ万能の兄、病弱だった2番目の兄。親の目をこちらに向けようと、小さいころから乱暴になり、中学になると「白ラン」にリーゼント姿で町を闊歩(かっぽ)。担任の教師への暴力、窃盗、けんかの毎日だった。中学卒業後には暴力団に入り、16歳で部屋住みのヤクザに。覚醒剤に手を出し、対立する組員を相手に監禁、傷害事件も起こした。刑務所への服役は計8度を数える。
最後の服役中に「娘が生まれた」と当時の妻から知らせを受けた。当初は実感がわかず、どこかひとごと。だが送られてきた娘の写真を見ているうち、たまらなく会いたくなった。
34歳で出所し、妻と娘の3人で1カ月間生活した。幸せだったが、今のままの自分が家族を持っていいのかと葛藤を覚え、一人で更生保護施設へ入った。
500円支給の列に並びながら…
施設に食堂はあるが、土日はやっていない。その代わり、金曜日になると入所者に500円が支給された。その列に並びながら、つくづく痛感した。次に娘に会うときには、立派な人間になれているように-。
保護司にも支えられ、仕事を見つけて懸命に働いた。「腕の入れ墨が隠れるから」と選んだのは長袖シャツを着る営業職。たまに当時の仲間に会うと、立ち直ることの難しさを実感した。「行き場のない人たちの受け皿に」と、前科のある人を積極的に雇う人材派遣会社を設立した。
更生には①住む場所②仕事③相談相手―が必要だと川中さんは言う。「刑務所を出た全員が更生できるわけではない。『シャバ』での生き方が分からないまま戻ってくる子も大勢いる。出所してからの生き方を、教えてあげないといけない」
川中さんのもとには、多くの受刑者から「もう一度頑張りたい」と手紙が届く。その一人一人と面会するため、全国の少年院や刑務所を訪ね歩いている。
「僕自身、今でも覚醒剤の夢を見ます。体が覚えているから。そんなときでも、自分には使命があるから頑張れる」と川中さん。
サポートしている少年少女から裏切られることも多々ある。それでも「一度取った手は離さない」と誓っている。(鈴木源也)