日本海沿岸部を歩いていたら何者かに襲われ、麻袋をかぶせられた-。多くの人が思い描く北朝鮮による日本人拉致のイメージだが、そんな思い込みを打ち破る短編映画が今月、広島市内で開かれた北朝鮮人権映画祭でお目見えした。拉致の協力者は国内に潜み、日常は危険と隣り合わせ。あなたの潜在意識に警鐘を鳴らす。
巧妙な手口を描写
「あーもう、やってらんねえよ。こんな会社辞めてやる!」
飲食店で同僚相手に会社の不満をぶちまける男性に、女性店主が話しかける。「私の知り合いで印刷会社の社長さんがいらっしゃるのよ」
実は、店主は拉致の協力者。ターゲットを見定め、特殊工作員に存在を伝える。以後、男性は行動を見張られる。あるとき、転職先の社長の部下を名乗る男に声を掛けられ…。
12月8日、北朝鮮の人権問題を考える映画祭で上映された「あなたが知らない本当の拉致問題~拉致の真相を暴き出す~」(佐羽英(さはね・ひで)監督)の描写だ。わずか10分間の作品だが、拉致実行までの巧妙な手口に思わず固唾をのむ。
「日本海側でさらわれるイメージのままでは拉致の本質が分からなくなる」。上映後、北朝鮮による拉致の可能性が排除できない「特定失踪者」の支援団体「特定失踪者問題調査会」の荒木和博代表が製作意図を明かした。
拉致は分業制で、協力者の存在が欠かせない。店主が男性に狙いを絞ったのも「姿が消えても怪しまれない」(荒木氏)ためだ。男性が転職すれば、かつての同僚と疎遠になっても不思議ではなく、行方不明の発覚を遅らせることができる。
新左翼の関与示唆
国内に潜伏する協力者に関しては、何も映画の中だけの話ではない。
調査会の岡田和典常任顧問によれば、拉致被害者の有本恵子さん(64)=拉致当時(23)=と田中実さん(75)=同(28)、拉致の可能性が排除できない秋田美輪さん(60)=失踪当時=(21)と加藤小百合さん(60)=同(33)=はいずれも神戸市内の半径数百メートルを生活・通学圏にしていた。
中でも、有本さんは神戸市立須磨高等学校(再編・統合で現在は市立須磨翔風高校)出身だが、これは昭和45年、日航機「よど号」が世界同時革命を目指す赤軍派メンバーに乗っ取られ、北朝鮮に向かったハイジャック事件の実行グループ、柴田泰弘元受刑者(平成23年に死去)と同じ。そして、柴田元受刑者と北朝鮮で結婚したのが有本さん拉致実行犯の一人、八尾恵氏だ。
岡田氏は、松木薫さん(71)=拉致当時(26)=の姉、斎藤文代さんとよど号グループの一人、岡本武容疑者=国際手配中=は熊本県内の同じ中学校出身だとし「こんなに偶然が重なるわけがない。なぜこれほどまでに日本人が拉致されるかといえば、国内に協力者がいるから」と、武装闘争を掲げる日本の新左翼勢力による関与をも示唆。「協力者を逮捕してこそ情報が出てくるのに、この国はそれ(身柄拘束)をしない」と憤る。
イメージ転換必要
「海から上がってきた人間が(ターゲットを)連れ去るというのは、拉致を実行する立場になって考えればリスクが大きすぎる」とは荒木氏。国内の協力者の存在を知ることで拉致の深い理解につながると考えている。
調査会幹事長で、製作プロデューサーの村尾建兒(たつる)さんによると、多様なケースを題材に4~5作品を製作。このうち何本かの製作費用はクラウドファンディングを活用する。今回上映されたのはプロローグ版で、年内にもユーチューブで公開予定だという。
村尾さんは言う。「拉致は大半が誘導。『日本海』や『夜道』のイメージでは、いつまでたっても拉致は自分ごとにならない」(矢田幸己)